Vol.12
コスタ・ダル・マレスマ−最も近いビーチ・リゾート
  Costa del Maresme-la Costa más Cercana

 スペインのビーチ・リゾートで、日本から最も近いところは、いったい何処だろうか?もちろんこの場合の「近い」とは、たんに物理的な意味だけではなく、交通の便も考えに入れての話である。答はスペインを代表するリゾート・タウンのひとつ、シッチャス(Sitges)のある、コスタ・ダル・ガラーフ(Costa del Garraf)となる。
 
 なぜなら日本から行くのに、最も便利なスペインの都市は、マドリードとバルセロナだからである。マドリードは広大なイベリア半島の中央に位置しているので、近くにビーチ・リゾートが存在しない(湖ならいくつかあるのだが、貯水のため人工的に造られた代物なので、大きな砂浜が無い)。いっぽうバルセロナは、地中海に面した港町であるから、周囲はビーチ・リゾートの宝庫となっている。

 となるとバルセロナ郊外のビーチ・リゾートが、最も近いということになる。なかでもコスタ・ダル・ガラーフは、バルセロナの空港に、隣接しているといってよいほどの位置にある。空港からシッチャスまでの距離は僅か20km、車なら30分とかからない。日本を朝出発すれば、その日の深夜に到着することのできる、数少ないスペインのビーチ・リゾートである。

コスタ・ダル・マレスマの歴史

 こうした便利な位置にあるビーチ・リゾートは、コスタ・ダル・ガラーフだけではない。バルセロナの反対側(北東側)に位置するコスタ・ダル・マレスマもまた、忘れてはならない存在だろう。

 バルセロナから50km〜60kmと、コスタ・ダル・ガラーフとくらべれば、やや遠いものの、やはり日本を発ったその日の深夜に、到着することができる位置にある。ただしバルセロナへの到着が9時以降になると、終電に間に合わなくなってしまう(バルセロナとコスタ・ダル・マレスマを結ぶ交通機関としては、鉄道が最も便利。バスは日中の2〜3便しかない)ので、1万円程度のタクシー代を、覚悟しなければならない。

サンタ・スザンナ駅。駅舎は中世の塔を利用

 このように私たちにとって、便利な場所にあるコスタ・ダル・マレスマであるが、日本では存在すら、ほとんど知られていない。これはコスタ・ダル・マレスマが、スペインのビーチ・リゾートにしては珍しく、地元の人びとの観光地として、発展してきたことによるのかもしれない。この地域は今でこそ、ドイツ人を中心とする外国人観光客で賑わっているが、そうした状況が始まったのは、そう昔のことではない。
 
 古くからコスタ・ダル・マレスマは、バルセロナ市民の海水浴場であった。もちろん「古くから」といっても、海水浴という習慣自体が、それほど昔からあったわけではない。せいぜいのところ、19世紀に遡ることができるにすぎない。
 
 ところで現在では、海水浴はもっぱらスポーツの一種と考えられているが、初期のころは純然たる医療行為であった。当時は海水に温泉水のような、病気を治す力があると信じられていた(これは現代の医学で考えても、まったくの誤りというわけではない)ので、人びとはビーチに、いわば「湯治」に来ていたわけである。もっとも湯治場としての温泉が、しだいに娯楽の中心となっていったように、海水浴場も時代が下るにつれ、観光地と化していった。

 観光地としてのコスタ・ダル・マレスマの歴史は、鉄道が開通したときに始まる。あまり知られていないことであるが、スペイン最初の鉄道は、バルセロナからコスタ・ダル・マレスマに向けて、建設が開始されたのである。

 もっとも1848年に最初の区間が開通したときは、バルセロナから約30kmの地点にある、マタロー(Mataró)という小さな港町が終点であった。なおマドリードからの最初の鉄道は、アランフェスが目的地であったが、マタロー線と同様に郊外の行楽地への路線が、まっ先に開通したというのが、なんともスペインらしい(当時鉄道は、まず工業地帯に建設されるのが普通であった)。
 
 その後この路線は、マタローから先へと延長工事が行われ、1861年にはコスタ・ダル・マレスマの観光の中心である、カレーリャ(Calella)に達した。この町から先は、約10kmにわたって、美しい砂浜が続いている。カレーリャが鉄道によって、バルセロナと結ばれたことにより、このビーチはバルセロナ市民が、夏の休暇を過ごす場所となった。市民の中でも裕福な者は、この地に別荘を構えた。時はモデルニスマ(Modernisme)の全盛期、こうした別荘の中には、ガウディーのライバルたちが設計したものも多い。
 


ホテル・サンタ・スザンナ・リゾート。ドイツ風の外観が印象的
 1960年代になると、コスタ・ダル・マレスマにも観光ブーム(auge turístico-スペイン史におけるこの言葉は、当時国策として強力に推進された、外国人観光客獲得のための観光開発を意味する)の影響が及び、それまでの比較的小規模なそれとは次元を異にする、大規模な観光開発が始まった。

 そして前世紀の末には、最後まで開発から取り残されていた、サンタ・スザンナ(Santa Susanna)に新駅が開業し、それに合わせて周囲に建設された、最新の設備を誇るホテル群とともに、この地域の新しい顔となった。

ドイツ人とフランス人

 コスタ・ダル・マレスマに滞在する外国人観光客の中で最も多いのは、おそらくドイツ人であろう昔からドイツ人は、地中海への強い憧れを抱いてきた。凍てつく冬の大地から、オレンジ(冬に実をつける)の実る土地を夢見ることは、彼らの第二の本能といえるだろう。

 ドイツからコスタ・ダル・マレスマまでは、かなりの距離がある(旧西ドイツの首都であったボンまで、約千キロ)。それにもかかわらず彼らの多くは、バスに乗ってやってくる。それも超大型の、「寝台バス」という代物で。

 この風変わりな乗り物は、二階建バスのボディーに三段ベッドを装備し、一台で30人ほどの乗客を運ぶ(当然のことながら荷物を収納するスペースがなくなるので、それを納めるトレーラーを牽引している)。したがって運賃は普通のバスとそれほど変わらず、飛行機を利用するより、はるかに安上がりとなる。しかも寝ているうちに目的地に着けるから、十分に快適というわけである。
 
 ドイツ人の他には、フランス人の姿も目立つ。カタルーニャはフランスに隣接しているし、風俗習慣も似ているので(なぜかスペインを特別視する人が多いが、じっさいのところはイタリアやポルトガルとともに、同じラテン民族の国であるフランスと、数多くの共通点を持っている)、気軽に来れる場所からである。なおコスタ・デル・ソルで目立つイギリス人の数は、ここではそれほど多くない。

コスタ・ダル・マレスマへのアクセス

 すでに述べたように、コスタ・ダル・マレスマはバルセロナに近いため、多少無理をすれば、その日のうちに到着することができる。だが一般的には、最初の夜をバルセロナで過ごし、翌朝に最終目的地へ向うということになるだろう。
 
 日本に帰るときは、もし飛行機の出発時刻が11時以降であれば、その日の朝までコスタ・ダル・マレスマに滞在できる。そうでない場合はタクシーで空港へ向うか、前日の夜をバルセロナで過ごす必要がある。近いといっても、1万キロ以上離れたところにあるのだから、この程度の不便は致し方ないというべきだろう。


「スペインに暮らす」は今回で終了させていただきます。武藤崇さんによるスペイン紹介の別企画を来年、スタート予定です。お楽しみに!




Takashi Muto

 1958年東京生まれ。79年、初めてヨーロッパを訪れる。89年、初めてスペインを訪れる。翌年まで滞在、スペイン語を学ぶ。92年、文部省認定スペイン語技能検定試験2級合格。93年、初めてアンダルシアを訪れる。00年、「リゾート滞在マニュアル〜コスタ・デル・ソル」を執筆、自費出版。現在は日本のマンガとアニメの翻訳・紹介に従事。スペインをテーマとするミニコミ誌「ピレネーの南」の編集・発行人。