Vol.5 忌わしき1894年の夏         中瀬航也

 かの100年戦争中に起きた「ペストの流行」を初め、人を脅威に陥れた病気は幾つかあるが、その度に人はその脅威から逃れる為、薬として酒を飲み、様々なリキュールや蒸留酒を発明し利用してきた。

 実際「その酒を飲めばその害から逃れられる」とか、「その酒を飲んでいる者だけその病気にかからなかった」などという話が各地に残っている。

 ところが19世紀の中頃になって、そのたのみの綱である酒の一つ「ワイン」が脅威にさらされる事となる。それはペスト、コレラ、マラリアなどのように直接人体に害になるものではなく、間接的に、そして精神的に人々を蝕んでいくものだった。

 それはまず1850年代前半に起こった。葡萄の葉に発生した「うどん粉病」が欧州各地を襲い、シェリーの親戚に当るマデラ島のワインは98%が害を受けるという壊滅状態に陥ったのだ。

 そしてそれを追うかのように、1850年代後半から、アメリカから南フランスに輸入された苗木の中に潜んでいた「フィロキセラ」と呼ばれる虫の害が欧州中を襲ったのである。いわゆる世に知られる「フィロキセラ禍」である。

 そもそもこの輸入の目的は、うどん粉病による被害の穴埋めであったが、皮肉にもそれはまさに「虻蜂取らず」の如く両者を失いかけるところまで発展してしまう。

 この虫害はゆっくりと各地の葡萄畑を壊滅状態に陥れながらフランスを北上し、もう一方では南東のイタリアや南西イベリア半島へと南下していったのである。

 そして、ついに「1894年の夏」シェリーの産地ヘレスがその脅威に襲われた。偶然にも同じ年にシャンパーニュ地方でもフィロキセラによる虫害が発生し、皮肉なことに同時に二大食前酒と、その文化が消失の危機に見舞われる事となってしまったのである。

 幸い、その後の復興で1904年以降ヘレスでもその収穫量、質共に向上していったが、一方ではこの虫害の影響か、当時からシェリーの最大消費国であった英国では、ヴィクトリア時代に発生したシェリー・ブームに一つの終止符が告げられようとしていた。

 事実それを象徴するかのように1901年には英国王室のシェリー5000ケースが売りに出された。そして、気付くとそこには第一次世界大戦が迫っていた…。

 このラベルは、ヘレスのフィロキセラ禍の年である1894年に熟成を開始したという「オールド・スタイルのオロロソ」で、1879年以降シェリー業に参入してきたサンデマン社が、ペマルティン社から樽を受け継ぎ、現在も熟成し続けているというものである。

ちなみにこのシェリーのソレラ開始年は予てから1897年と信じられていたが、1998年の調査で1894年の開始という事が判明し、現在はこの年を開始年として表記している。