Vol.42
2ヶ月ぶりのセビージャで悲しんだり笑ったり喜んだり驚いたり…あ〜あぁ
倉 持 隆 夫

  マドリッドからアベ<新幹線>でサンタフスタ駅に降り立ち、2ヶ月ぶりでセビージャの空気を吸ったよ。今年のセビージャは酷暑の夏と聞いていたが9月も半ばなので暑さも衰えをみせているだろうと高を括っていた。が、トンでもない!街のデジタルはなんと35℃。空はあくまでも青く、太陽が燦燦と照りつける。ナイキのキャップを目深に被り、脳天を貫く暑さを凌いだよ。

 でも有難いね、セビージャのピソ<マンション家屋>の中は石造りだからとても涼しいんだよ。床も食堂のテーブルもみんな大理石で出来ているので、それらが外気の熱を吸い取ってくれる。だから外は暑くても部屋はひんやり感があるんだ。日本だったら絶対にクーラーが必要だよね。でも小さい扇風機一つで心地よい部屋になるよ。

 寝室の前には、我が家専用の吹き抜けの小さなパティオ<中庭>があるんだ。僕はこのパティオで「しだの葉」を育てているが、毎日の水やりで1メートル位に成長、見栄えの良い緑が気持ちを癒してくれていたんだ。だが見るも無残、酷暑に耐えられずほとんどが茶色く枯れてしまっていた。この2ヶ月間、セビージャには一度足りとも雨が降らず、毎日がカンカン照り。水が大好きな「しだの葉」は瀕死の状態。僕は悲しかったが丁寧に枯葉を切り取って坊主状態の「しだの葉」に語りかけた。

 「水をやらず、ごめんな」「生き返ってくれよ」
 そして、たっぷりの水を朝夕与え続けたんだ。
 10日後。新芽が出たよ。可愛かったよ。
 「有難う、大事にするよ」

道路で目玉焼きが作れた夏

 トリアナのメルカド<市場>で新鮮な野菜、果物、マグロ、鰯やらを買った後、いつものように市場内にあるホセのバルに寄った。この店はずば抜けて安いし、市場の中にあるので肉も魚も鮮度抜群で美味い。陽気なホセといつも大きな声で歌を歌いながら給仕をする美人のカミさんが迎えてくれた。ソロミージョ・ロケホ<豚のチーズ焼き>とカルネ・コン・トマテ<牛肉のトマト煮>のタパス<小皿>にティント・コン・リモン<赤ワインのレモン割り>。美味い!

 舌鼓を打っているとYOKO MAEDAさんが現れた。「あらぁ〜しばらくね。東京の夏はどうだったの」と優しい微笑みで話し掛けてくれた。

 MAEDAさんはセビージャに住んで30年、70歳にお成りになるが、日本人女性とは思えない程背が高く、いつもピンと背筋を伸ばして颯爽とトリアナの街を歩いているんだ。このメルカドでも人気者、市場の人からは何故かKYOTO、京都と呼ばれている。日本人観光客にガイドをしたり、和紙で製作する日本人形作りの教室を開いたり、と立派に自立し、市民権を得ている女性なんだよ。MAEDAさんが「今年の気の狂いそうなセビージャの夏」について話してくれた。

 「私は長年セビージャに住んでいるけど、こんな夏は初めてよ。56℃の日があったのよ。その日ね、観光客が道路に卵を落としたの。ほら,卵焼きが出来ちゃうくらいの暑さ、と言うでしょう。余りの暑さに観光客が実験したのよ。そしたら本当に目玉焼きが出来ちゃったのよ。テレビのニュースも取材に来たのでニュースにもなったのよ。それからね、普段でも45℃ぐらいの日が連日だったから街に広報車が出たの。

 『市民の皆さん、水を飲みましよう。毎日、3リットルの水を飲みましよう』と言うのよ。テレビでも呼びかけていたわ、『12時から5時までは外に出ない様にしましよう。運動もしないように。家の中にいましよう』だって。それでもセビージャでは29人の方が熱中症で亡くなったのよ」

 僕は目玉焼きの話に笑いを堪えながら、真剣な表情で話すMAEDAさんの酷暑リポートに聞きいった。

斎藤恵子ちゃん念願の帰国リサイタル決定
新宿エル・フラメンコにて来年2月11日

 我が家の「倉持食堂」の常連で、いつもテキパキとお手伝いをしてくれるフラメンコ留学生の斎藤恵子ちゃんが、元気な顔を見せてくれた。恵子ちゃんのクリクリお目目はとてもチャーミングで可愛い。そのお目目を更に大きくして快活に、力のこもった声で開口一番、「隆夫さん、帰国リサイタルが決まりました!」と嬉しそうに報告してくれた。

 斎藤恵子ちゃんは、セビージャに留学してまもなく丸2年。コンチャ・バルガスの元で来る日も来る日もフラメンコ漬けの毎日。日本での初舞台を夢見ながらひたすら苦しい練習を続けているんだよ。今夏も仲間達が帰国するのを見聞きしながらも酷暑のセビージャでレッスンに、自習に、明け暮れた。

 余りの暑さに溜まりかねた師匠のコンチャ・バルガスが「恵子、夏だからバカシオネに行こう。私のサンルーカル<グワダルギビル河がコスタ・デ・ラ・ルスに注ぐ河口の保養地>の別荘に貴女もおいで!」と誘ってくれた。恵子は言った。「別荘で個人レッスンをやって下さい。そしたら行きます」と。本当に練習の虫なんだね。将来はプロのフラメンコ・ダンサーという大きな目標があるだけに、一生懸命なんだ。

 別荘での異例の個人レッスンが始まった。コンチャ・ファミリーと生活を共にしながらの愉しい日々。恵子ちゃんはこの別荘生活で、フラメンコの精神的な部分に触れることが出来たんだ。それは…。

 恵子ちゃんは、舞台や稽古場でしかコンチャ・バルガスに接した事がない。フラメンコ界の大スターだもの、当たり前だ。舞台でジプシーの血をたぎらせ、ダイナミックに、時には繊細に、個性的に踊るコンチャ・バルガスしか知らない。フラメンコ・ダンサーの大御所としての、華やかな存在しか知らないのだ。

 だがしかし、別荘での彼女の普段着の過ごし方は、いかにも生活臭い主婦の匂いをプンプンさせた振る舞いだった。この様子をつぶさに見た恵子ちゃんは、フラメンコ・ダンサーの原点を感じたのだった。

 コンチャは夫のラファエル、長男のキンテイン21才、次男のクーロ16才、娘のカルメン12才、そして兄嫁の未亡人フラスキーと子供一人、それに恵子ちゃん、合計8人の面倒をみてくれた。コンチャは朝、昼、晩の食事、洗濯、お掃除、買い物を一手に引き受け、それを愉しげにやってのけてしまう完全なる主婦を演じたのだ。夫や子供たち、そして恵子ちゃんへの気配りも愛情が満ち満ちていた。全ての面でイヤな顔ひとつ見せない、完ぺきな主婦の姿を恵子ちゃんの前で見せたのだった。

 「私はフラメンコ・ダンサーであり女房でありお母さんなのよ」とコンチャは言った。

 恵子ちゃんは思った。舞台ではコンチャ・バルガスの憂いを含んだ真っ黒な瞳が時には微笑み、時には怒る。その目の配りは子供たちに接している時と同じだ。コンチャの柔軟な筋肉から繰り出す繊細な動きは、夫ラファエルに接する時に時々見せるのと同じだ。

 「フラメンコはテクニックだけじゃない。生活の積み重ねが自然と踊りに凍みこんでくるものなんだわ」

 僕の観察では、この夏一皮向けた感じがする斎藤恵子ちゃん。彼女は来年の2月11日、東京・新宿のフラメンコの殿堂、エル・フラメンコで帰国リサイタルを行う。なんとコンチャ・バルガスも一緒の舞台に立ってくれるという。ギターはセビージャ留学でお世話になった俵英三さん。カンテはアントニオ・デ・ラ・マレーナ・デ・ヘレス。

 恵子ちゃんは「日本での師匠、佐藤祐子さんの温かい思いやりに感謝し、一生懸命に踊ります」と今日もスタジオで自習に励んでいる。

 それにしてもセビージャの今年は暑い。本当に秋は来るのかなあ〜。