Vol.178

到々、花粉症の仲間入り。
五月晴れだというのに、憂鬱な5月・・・

倉 持 隆 夫


 群青色の空と、焦げそうになるくらいの太陽が容赦なく照りつけるセビージャの5月。市民は待ち焦がれていた様に肌を晒し、若い娘達は、ぎりぎりの所だけを隠し、ほとんど無防備で街を闊歩している。老いも若きも週末はプラジャ(海岸)へ繰り出し、此処でも日光を充分に吸収する。隠すのを嫌うヌーディスト愛好家は、我々の季節だと言わんばかりに、大胆な格好で海岸を歩く。毎年繰り広げられるアンダルシア地方の光景である。

 でも、今年の気候は間違いなく変だ。春一番の3月中旬に、気温が一気に30℃〜35℃に上昇、随分早く夏が来たものだなあ〜と思っていたら、4月第2週のセマナ・サンタの一週間は、セーターの上にウールの上着を引っ掛けないと、パソ見物などを見学できない程、寒さがぶり帰した。セビージャより更に南のグラナダの山間では、連日雪が降り、峠の交通が遮断された。勿論、アンダルシアに雪が降れば、北部のカンタブリアやパイス・バスクも雪、雪、の毎日であった。

 4月最終週から5月にかけての大規模な市民祭り「フェリア デ セビージャ」が始まる頃も、気温が上がらず、晴れ間は出たが曇り空、25℃前後を行ったり来たり、それでも雨が落ちてこなかったので、晴れ着のトラッヘ(フラメンコ風ドレス)を濡らすまでには至らなかったので着飾った女性はホッとしていた。

 華やかなトラッヘを着けた女性がセビージャの街々を占拠し、クリシス(世界同時大不況)を忘れたかのように急激に増えだしたセビージャ観光の客たちがTシャツ、半ズボンでレストランやバルを占領したのも、5月のセビージャを象徴する風景である。

“その時”は突然、
原稿執筆中にやってきた…

 そんな身も心も自然に浮き浮きしてくる5月のある日、僕はパソコンに向い原稿を書いていた。その時である、突然、洟(はなみず)が零れ落ちた。汚ない話で申し訳ないが、鼻の穴を押さえる間がないほど、何の前ぶれもなく、水気だけの鼻汁がパソコンにポタンと落ちた。キーワードの部分ではなかったので、染み入る事もなく、パソコンには影響が無かったが、あわてて、ティッシュで拭き取った。しかし、洟が止まらない。僕は余りにも寒暖の差が激しい、今春のセビージャの天候のせいで風邪を引いたのか、と思った。

 しかし、何時もの様な風邪の症状とは違う。単なる風邪なら、鼻はぐじゅぐじゅして煩わしいが、洟が水のように流れ落ちるなんて事はない。

 その日から、他にも症状が現れた。目の中が痒い。目の淵も痒い。悲しくもないのに涙が出る。耳も痒い。耳の中も痒い。そして、くしゃみが連発して出る。激しくくしゃみをすると、右脇腹に衝撃が走り、痛い。肩も張る。だるい。

 僕は原稿書きを中断して、日本から持参した「葛根湯」を飲んだ。耳の中の痒みが我慢ならなくなったので、綿棒を当てた。その綿棒の先は黄色に染まり、嫌な臭いがした。後の症状はじっと我慢した。そして横になった・・。

 「ご飯よ」と女房に呼ばれたが、全く食欲がない。それでも、元気を出して夕飯を無理やり胃の中に押し込んだ。寝る前にパブロン・ゴールドA微粒を飲み、早めにベッドに入ったが眠れない。洟がどんどん出てきて、テイッシュ・ペーパーがサイド・テーブルにいっぱいになった。

フィットネス・クラブの帰り、
バスの車中は「ヘスス」「グラシアス」の連呼…

 仕方がないので、深夜に起きて、日本から送った家庭医療百科事典を開いた。

 花粉症のページを開くと、どうも、症状が似ている。しかし、僕は68歳になるまで、東京でも、セビージャでも、花粉症に罹った事は一度もない。サラリーマン時代も、職場の仲間が「ああ〜嫌な季節がきたなあ〜」と嘆くのを観て、他人ごとのように過ごしてきたのである。

 でも、花粉症の症状にぴったりだった。
 平凡な毎日を送っているのに、突然、花粉症なんかになるものか、と疑問を抱きながら、朝を待った。

 翌朝、寝不足で身体が重かったが、日課にしている水泳をやりに、フイットネス・クラブO2に行った。プールに入る寸前に、また突然、洟がプールの水の中に落ちた。誰かに見られたら不味いので、周りを見渡したが、気が付いていなかったようだ。何時ものように、平泳ぎから泳ぎだしたが、25メートルターンまでが苦しい。我慢してターンし、スタートに戻ったが、洟とくしゃみが連続して出た。

 始末が悪いのでプールから上がり、スチームサウナに飛び込んだ。濛々たる湯気と熱気に身体を晒し、全身の毛孔が開くまで、じっと我慢を通した。そして、鼻の穴を湯気の出口に持って行き、湯気を吸い込むようにした。身体や、体内に纏わりつく悪いものを全て吐き出してしまいたい、という思いで30分間もサウナで過ごした。その結果、鼻の中の「通り」が良くなり、頭もすっきりしたような感じがした。

 帰り道、僕はいつものように、バスに乗り帰路についたが、バスに乗った途端に大きなくしゃみが出た。抑えること事ができずに“ハックション”とやらかしたら、周りの乗客が「ヘスス!」と声を掛けたので、僕は嘗て仲良しのアナから教わったように「グラシアス」と言って照れ笑いをした。ハックションは止まらず、5連発のくしゃみを繰り返した。「ヘスス」「グラシアス」の連呼でバスの中は笑いに包まれてしまった。

 スペインの習慣では、くしゃみが出た人に「ヘスス」と声をかける習慣がある。ヘススはイエス様の意味で“くしゃみは不吉なもの”とされているから「くしゃみをして、不吉なモノを外に追い払ったので、大事にしなさいよ」というわけである。くしゃみをして苦しそうな僕を隣のご婦人が「アレルヒア(花粉症)ね。お気の毒に、私も辛いのよ・・」と言って、背中を優しく撫でてくれた。

振り返れば、
セマナ・サンタが原因か…

 その日の午後、行きつけのタパ・ロブレスの主人ミゲルが言った。

 「タカオ、アレルヒア(花粉症)に間違いないよ。タカオも到々セビジャーノ(セビリアの人)の仲間入りかね。80万人のセビジャーノの内50万人がアレルヒアに掛っているよ。ほら、4月はセマナ・サンタで昼も夜もパソ見物で外にいるだろう。また、5月はセビージャの春祭りで、屋外のフェリア会場で踊ったり、飲んだりするだろう。だから、皆、花粉を貰うんだよ。タカオ、見てごらんよ。街路樹のオレンジの花も、ハカランダの花芽からも、花粉が飛ぶよ。バスで10分も走れば、オリーブ樹林、そして、外周道路脇の原っぱや畑にはANBROSIA(ブタクサ)が一杯だろう。みんな、風で運ばれて来るんだぜ。鼻、耳、服、そして家の中にも花粉は入ってくるよ。タカオ、4月も5月も雨が降らなかったから、空気は乾燥しているし、花粉が飛ぶ条件にぴったりなのだ。だからセビージャは花粉症のメッカと言っても良い位だよ。夜中に清掃車が、強烈噴射で木々に水を掛けるが、昼間の太陽熱で木々は生き返ってしまう。いたちごっこだよ。ほら、3月末ごろから、サングラスをした市民が増えただろう。目を守るためだよ。また、大きなマスクをした人も目立ち始めたよね。皆、大きなマスクで顔を隠し、花粉症対策をしているが、一旦罹ると、もう、ダメだよ。ベラーノ(本格的な夏)の6月が来たら、自然と治るさ」と一気に捲くし立てた。

 ミゲルの言う通り、僕等は、セマナ・サンタの1週間は、昼に夜に、セビージャ市内をほっつき回り、セマナ・サンタのハイライトである木曜日の午前0時にはLA MAKCARENA(マカレーナ)のマリア様の山車のスタートを見学、その後、ESPERANZA DE TRIAN(トリアナのマリア様・エスペランサ)の出発を午前2時10分に見学、更にLOS GITANOS(ヒターノス)を午前3時に見て歩いた。

 夜中は風が強く、寒かったが、コートを着こんで暖をとり、完璧に防御に努めたが、24時間徘徊する花粉を、この時貰ったようだ。また、一時洟が止まったので、5月のフェリアには、友人のパンクラシオのカセータ、CENTROBANで仲良しのアナやロシオと夜中まで騒いだ。この日も風が強く、フェリア会場は、風が舞い上がり、土埃と馬車を引っ張る馬の馬糞の匂いが充満していた。このフェリア会場はアカシアの花が満開だったので、ここでも、花粉を貰ったようだ。

 僕は、家の窓を開けっ放しにしないようにしたり、濡れタオルや大きめの花器に水を張って部屋に置いたり、掃除機で床、ソワァー、カーテン、絨毯をこまめに掃除し、濡れ雑巾で拭きとったり、ありとあらゆる対策を講じた。

 また、花粉飛散の3条件『風が強く晴天の日、最高気温が高い日、湿度が低く乾燥した日』には注意せよ、といわれてもセビージャに住んでいると、毎日が全ての条件を満たす事になるので、防ぎようが無いのである。

いま僕が取り組んでいること

 それでも僕は必死でパソコンに向い、原稿執筆に取り組んだ。洟を拭き拭き、くしゃみを堪え、目や耳の痒みを我慢し、身体のだるさと闘いながらの原稿書きである。

 何故そこまでしなくてはならないか、というと、この1月の冬に一時帰国した際、大手出版社の新潮社から、長編書き下ろしの原稿執筆を依頼されたからである。

 400字×450枚という長編は執筆した経験がないが、テーマは「18年間、しゃべり続けた「全日本プロレス中継」担当アナウンサー、倉持隆夫」というものだったので、努力して書いてみます、ということになったのである。

 何故、今どき、『プロレス』がテーマになったかというと、今年の3月、日本テレビが開局した翌年から放送を開始、55年間も続いた長寿番組「全日本プロレス中継」が地上波テレビから姿を消す事になったので、数多くのプロレスファンにメツセージを残して欲しい、という依頼だったのである。

 しかし、日本テレビのプロレス中継アナウンサーを卒業してから19年も経っている今、僕の頭の中には、その、夢中で取り組んだプロレスの背景が中々浮かんでこない。幸いなことに息子の次男、二郎がプロレスのコレクターだったので、資料的な物を航空便でセビージャの自宅に送り、書き始めた。

 僕は2月、3月、4月の3ヶ月間、原稿書きに没頭した。そして生みの苦しみを味わいながら、350枚を書き終えた。 

 新潮社からの原稿締め切りは5月一杯である。残り100枚近くを書きあげなければならないのだ。もう、頭の中は“プロレス”“プロレス”で一杯である。

 ノン・フィクション物は、年代や日付、登場人物などの正確なデーターが必要不可欠なので、資料を紐とくのが大変である。僕の頭のメカニズムが段々狂ってきた。身体も不調である。

心身の不調から抜け出すのはいつ…
450枚の原稿を書き上げた!

 そんな折、仲良しのロシオから電話を貰った。

 「タカオ、私、毎日12時間も働いて疲れちゃったわ。飲みに行きましょう」と、誘われたのである。ロシオはアンダルシア州政府に努め、部下16人を掌握する女性部長である。

 そのアンダルシア州政府の新閣僚人事が4月に発足した為に、ロシオは多忙を極めていたのである。アンダルシア州プレジデントであるチャベ知事が、中央政府のサバテロ首相の要請によって、第三副首相の重要ポストに就いた為、アンダルシア州の新しいホセ・アントニオ・グリナン知事の内閣が発足、その事務処理を一手に担っていたから、徹夜勤務も何回かあったようだ。

 ロシオは、僕が原稿執筆で懸命に頑張っている事を知っている。ロシオは、僕の疲れた表情を見て、直ちに言った。

 「タカオ、Extenuacion Cerebro(疲弊脳症)よ。私もね、毎日12時間もパソコンに向かっていると、ストレスが溜るわ。私も疲弊脳症よ・・。
タカオの脳がね、身体の不調を疲弊したとキャッチしたのよ。人間の脳はね、ストレスが加わると、自律神経の間脳に届くのよ。その間脳は、交感神経を働かせて身体に警告し、ストレスが加わった事を伝えるの。そうすると、副交感神経が働き、心身をリラックスするように身体に働きかけるのよ。疲弊脳症の原因はね、仕事、家族、人間関係、将来の不安、等など・・・。心配事がびっしり詰まった我々の脳は、オーバーフロー気味なのよ」

 続けてロシオが言う。

 「タカオ、健康な脳はね『食べなさい、眠りなさい、休みなさい』という指令を身体に命令するから、逆にエネルギーが補充され、その結果、ストレスが心地よい刺激として認識されるのよ。でも、疲弊した脳はそうはいかないわ。正常な指令を下すことが出来ないために、ストレスをそのまま受け入れてしまうのよ。そうするとね、疲れやすく、安眠できなくなるし、イライラするのよ。あらゆる身体の異変を引き起こすから恐いのよ。でも、神経科に行く必要はないわ。タカオの好きな旅行にでも行けば治るわよ。そろそろ、北部も暖かくなってきたから、タカオの行きたがっていたフランス国境の街、サン・セバスチャンに行って、大好きなカニでも食べてきたら・・。私も行きたいけど、グリナン政権が安定するまで、セビージャを離れることが出来ないの。さあ〜飲みましょう・・」

 何のことでも、専門家並に詳しい、インテリで爽やかなロシオが、こうして僕を慰めてくれた。

 僕は花粉症と疲弊脳症に悩まされながらも、最後の力を振りしぼって、450枚の原稿を書きあげ、東京の新潮社編集部に送った。僕の未熟な原稿は担当者によって直され、ゲラが上がり、チェックをし、写真設定などを経て12月に本屋に並ぶ。まだ、題名は決定していないが、読者の皆様、ぜひ、読んでください。よろしくお願いします。



Takao Kuramochi 
日本テレビのアナウンサーとして33年間、マイクを握り、看板の「全日本プロレス中継」では倉持節でプロレスファンを熱狂させた。54歳から読売新聞金沢総局に出向し、地元のニュース・キャスターとして活躍。60歳の定年で日本テレビを卒業。現在はフラメンコ愛好家の登史夫人とセビージャ在住。孫3人。三鷹市出身 。


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