Vol.165

XV BIENAL DE FLAMENCO ありのままに、その2
美しいフラメンコに魅せられて…

倉 持 隆 夫


 1980年よりスタートしたビエナルは2年毎の開催で、今年で第15回目を迎えた。

 僕は過去のビエナルも女房に引きずられる様にして、できる限り観賞させてもらったが、素人なりに年毎に目が肥えてきたように思える。

 本編・・その1は、大ファンであるファルキートの、いわばヒターナが演じるフラメンコの魅力を綴ってみたが、今回その2では♪♪ 美しくエレガントなフラメンコ ♪♪を観たままにお伝えしようと思います。

 それにしても今年のビエナルはセビージャ組織委員会の熱の入れようが違うように思えた。運営から宣伝まで、全ての面に渡って、世界最大のフラメンコ・フェスティパルに相応しい内容なのである。

今年のビエナルは
セビージャ市の力の入れ方が違った

 まだまだ夏の名残りが強く感じられる9月のセビージャ。

 その頃からセビージャの街並みがビエナル一色に包まれた。

 AVEの終始発駅サンタ・フスタ周辺、バスターミナルのプラド・デ・サンセバスチャン周辺の幹線道路沿い、そしてセントロの大通りには『ビエナル・デ・フラメンコ・セビージャ』のフラッグが間隔を置いて掲げられ、いやが上にも人々の目を引く。

 また、市内バスのボディ、そして5分間隔で走る路面電車・トランビアのボディには広告が打たれ、人気のバル、インフォルマシオンにはビエナルのスケジュール表が常時キープされていた。

 観光客やセビージャ市民に特に注目されているのが、トランビアが走り、人々が引切り無しに利用するコンスティシオン大通りの歩道である。

 何とここには、プラサ・ヌエバからプエルタ・デ・ヘレス迄の長い距離に特大(横3m縦5m)の写真が10メートル間隔で飾られ、『MIL BESOS・千のキッス』と題した屋外写真展が開催されているのである。

 これはフラメンコの写真家として著名なルベン・アファナドールの作品で、全てがヒターナ・女の踊り手である。コンチャ・バルガス・トーレスの凄いメイキャップの顔アップ、エスペランサ・フェルナンデスの豊かなバスト、マチルデ・コラルのヘンテコリンな髪形、そして一番目を引くのはマントーンを頭に巻いたペペ・コンデの全裸写真で、その見事に大きいお尻の写真の前には誰もが立ち止まり、このお尻を背景に記念写真を撮る観光客が絶えない。

 セビージャ市役所内のギャラリーではアンヘル・ラコーレのコレクションであるフラメンコ・ロマンチカのペン画美術展が開催されている。セビージャの古き良き時代に舞い、謡う踊り子達が実に楽しそうなノスタルジーいっぱいの展覧会だ。

 これだけの催し物だけでも、セビージャ市が如何に力を入れているかが理解できるが、地元のカナルスール・テレビ・ドスは日曜日の夜10時半から特別枠を設け、ビエナル・デ・フラメンコの一週間ダイジェストを放映している。解説にはモンテセリン・セビージャ市長を起用していた。

 新聞は大手のABCが主催新聞社なので、毎日フラメンコの批評が紙面を飾っている。

若手アルティスタを見出すのも
楽しみの一つだった

 この様に今年のビエナルは異常なほど主催都市セビージャが張り切っているのだ。また、その上に、更に更に、フラメンコ・ファンを喜ばせる企画が実現した。

 ビエナル開幕一週間前には♪♪ +JOVENES+FLAMENCO ♪♪と題してアラメダ・ヘルクレス公園特設ステージが次の時代を担う若手アルティスタに解放され、市民は無料で鑑賞、フラメンコへの親近感を増したのだった。

 僕らはROCIO DE CARMENの舞台を観たが、共演したOSCAR DE REYES Y NANOの男性2人の踊りに魅せられてしまった。次の時代どころか、チャンスさえあれば、今でもすぐに劇場に出演できる実力ぶりであった。近い将来、必ずや大物アルティスタから声を掛けられるだろう。

 この様に若手の有望株の踊りを楽しみ、彼らが、彼女達が出世街道を登って行く様子を観察するのも、セビージャでのフラメンコ観賞の楽しみである。

 この若手たちの中に日本人アルティスタの名前を発見した。

 ♪♪ CONPAS4×4 ♪♪と題したイベントにAriko Yara・屋良有子さんが出演するのだ。23時という遅い時間だったが、僕らはトリアナのSala El Cachorroに足を運ぶことにしたのだった。

マノーロ・サンルーカルを讃える特別コンサートでは、
クリスティーナ・オヨスが舞った

前夜祭も素晴らしかった。

 ♪♪ Gala inaugural−Homenaje a Manolo Sanlucal ♪♪ マノーロ・サンルーカルを讃える、ビエナル開始の特別コンサートはセントロの中心サン・フランシスコ広場で華やかに開催された。当日は無料コンサートとあって会場は超満員。僕らは1時間前に行ったが、行列はシエルペス通りの奥まで続いていた。結局、僕らは入場制限で入ることが出来なかったので、一度家に戻り、簡易三脚いすを持って、照明・音響のスタッフが陣取る櫓の後ろを確保、立ったり座ったりの疲れたコンサート鑑賞になった。

 50年にも渡り、ギタリストとして、また作曲家としてフラメンコ界に君臨するマノーロ・サンルーカルの偉業を讃えるコンサートは、セビージャ市民オーケストラをバックにブルガリア女性合唱団、クリスティーナ・オヨス、イスラエル・ガルバン、ホアン・デ・ホアンらのバイレ、カンテの大御所、アルカンヘル、ホセ・バレンシア、ルイス・エル・サンボ、フェルナンド・デ・ラ・モレーナ等豪華出演者が次々に最高級のテクニックと風格ある芸を披露、夜中の12時過ぎに幕が下りるまで誰一人帰る人がいなかった。

 圧巻はマノーロ・サンルーカルのギター・ソロに合わせて踊るクリスティーナ・オヨスの華麗なる舞いであった。噂では、一線を退いたと、伝えられているが、この夜は、頭巾で頭と顔を隠し、静々と登場した。彼女がステージ中央に現れるや否や「オヨス!! クリスティーナ、ガパッ!!」のハレオが超満員の群衆から発せられた。ファンはオヨスの動きを一瞥しただけで解るのだ。その円熟した静かな、美しく、品格のある舞いは、思わず「きれい!! 美しい!!」と言わざるを得なかった。

 秀でた芸術家を称賛し、今脂の乗っている芸術家からベテラン迄を前夜祭に起用する発想は見事と言うしかない。本家・フラメンコ発祥の地に相応しいビエナル組織委員会の考え方はセビージャ市民の心を完全に捕らえていた様だ。

マリオ・マジャの遺作「MUJERES」を踊った
3人のバイラオーラ

 さて、フラメンコについて素人の僕は、嘗て『フラメンコはヒターナ達の芸に勝るものはない!!』と書いたことがある(Vol.116)が、その意味は、彼らの荒々しくも繊細な踊りとカンテに驚かされ、圧倒され続けてきたからである。

 しかし、フラメンコを愛好して30年余になるわが女房は「フラメンコは時代と共に変化しているのよ…。フラメンコが芸術と呼ばれる様になった近年は“劇場で観賞するフラメンコ”が主流なのよ。美しく、奇麗で、優雅で、トラマチックで…ね」と言う。

 そんな理由から僕らはメルチェ・エスメラルダ、ベレン・マジャ、ロシオ・モリーナの3人が夢の競演を果たした♪♪ MUJERES ♪♪と、サラ・バラスの新作♪♪ Carmen ♪♪をマエストランサ劇場で観たのである。

 尚、超一流のアルティスタしか出演できないマエストランサ劇場だがムヘーレスもカルメンも2日連続興行にも関らず前売りの段階でチケットは完売であった。

 僕らは前売り初日にロペ・デ・ベガ劇場でチケットを求め、FILA1、BUTACA2、4の席が確保できた。

 Mujeres・女たち…。

 まずは悲しいニュースからお伝えしなくてはならない。このムヘーレスを演出した芸術監督でありバイラオールでもあるアンダルシア・ダンス・カンパニーの創立者、マリオ・マジャがつい先頃亡くなったのだ。ムヘーレスを演出し絶賛を浴びてから2週間後の死であった。セビージャ市は彼の死を悼みセビージャ市役所の礼拝堂でお葬式を営み、ご家族や大勢のアルティスタ、そして市民に別れを告げたのだった。

 ムヘーレスの主役の一人、ベレン・マジャはマリオの実の娘である。

 父親マリオは精悍な顔つきの舞踊家でセビージャの街で何度かすれ違ったことがあったので印象が濃い。しかし娘のベレンは身長が160センチ程の小柄なバイラオーラである。

 そのバンビの様なしなやかな肢体を充分に使い切る踊りは、うりざね顔の可愛い表情と相まって実に舞台映えがする。日本人女性とも体格がそう変わらない事もあって、日本人のプロの踊り手の中にはベレンを尊敬するアルティスタが多い。この舞台でも素晴らしいソロを舞い、目下人気実力若手ナンバー1のロシオ・モリーナとのパレハでは呼吸がぴったり、精密機械の様な1ミリも狂いのない最高レベルの競演をやってのけた。

 圧巻だったのは、この2人が新体操のユニフォームの様な身体の線が剥き出しになるコスチュームを身につけ、観客席を正面にして弾丸サパテアードを連射した時である。

 「貴女には負けないわ!!」とばかりに互いに闘志を剥き出しにして踊り狂ったシーンはまさに女のバトルそのものであった。

 娘ベレンの力量と若手実力者ロシオの力量を天秤に掛けたマリオ演出は冴えていた。この時、舞台演出の父親マリオが会場にいたかどうかは定かではない。

 また熟女メルチェとのパレハでは背の高いメルチェのゆったりと優雅な踊りを引き立たせ、ベレンは小柄だがダイナミックな動きで自己主張を忘れなかった。

 メルチェは女性バイラオーラの中でも大御所的な存在である。アルティスタに年齢は無いと思うが、得意のパタ・デ・コーラは15分間も踊り続けた。衣装も美しい。身体を後ろに反りかえるテクニックも衰えていない。全身全霊を掛けて踊るメルチェの舞いは“美しい”の一言に尽きる。

 ロシオ・モリーナはレモンのようなプリンセスと呼ばれ、目下、人気を欲しい侭にしている売れっ子の踊り手である。このビエナルではこの後、今度はロシオ・モレーナ舞踊団を率いてロペ・デ・ベガ劇場にも出演し♪♪ORO VIEJO・古金色♪♪と題した新作舞踊を披露する。舞台ディレクター・振り付け・音楽もロシオが担当するのだ。踊りだけでなく、フラメンコの舞台全てを創り上げる才能にも富んだ目覚ましい活躍である。またフラメンコ関連のテレビ番組でもマラゲーニャ・ロシオ・モリーナは出演が一番多い。

 ベレンと同じように身長は160センチそこそこだが理知的な顔に裏打ちされたような正確な踊り、しかし、その生真面目さに反骨するような独創的な振りは“天才”と呼ばれても不思議ではない。

 そしてフィナーレ。3人が思い思いに華麗な舞いをステージ一杯に繰り広げていたが、突然舞台の中心に、3人が寄ってきた。そして、ベレンは正座の姿勢、ロシオは斜め中腰のポーズ、その後ろには一際大きいメルチェが立つ。一気に“女たちの美しい大輪が花開いた”のである。 そして5秒後、スポット・ライトが落ちた…。

 これまた、女性の美しさを知りぬいたマリオの巧みな演出であった。

 ♪♪ MUJERES ♪♪はマリオ・マジャの遺作となった。

 マリオ・マジャ…男性舞踊家、舞台芸術監督、振付師、アンダルシア・ダンス・カンパニーの創立者。71歳。

合掌。

サラ・バラスがカルメンを演じた

 Carmen…Ballet Flamenco Sara Baras

 スペインといえばドン・キホーテとカルメンである。日本はもとより世界的に有名である。

 そして♪♪ カルメン ♪♪といえばセビージャである。メリメの小説『カルメン』は、セビージャ市民がこよなく愛し、その景観はスペイン一美しいと称賛するグアダルギビル河でカルメンが水浴するシーンから始まる。そして女工カルメンが初めて衛兵ドン・ホセと出会うタバコ工場は現在セビージャ大学の法学部校舎として現存し、ロマンを求める観光客で常に賑わっている。

 このカルメンとドン・ホセは、スペインで活躍するトップクラスの役者、オペラ歌手、フラメンコ舞踊家らが好んで演じる男と女である。

 ビゼーの歌劇カルメンはホセ・カレーラスとアグネス・バルツァが…、アントニオ・ガディス舞踊団によるフラメンコ、カルメンが…、世界のカルメン・ファンを虜にしたのはご存じのとおりである。

 そして今回、フラメンコ界の人気を独り占めにし、日本、アメリカ、ヨーロッパの世界ツアーを尽く成功させている、女王サラ・バラスがカルメンを演じるのである。

 カルメンはジプシーの女でその妖艶な肢体を惜しげもなくさらけだして男を誘惑する悪魔的な魅力の持ち主である。

 僕は正直なところ、清楚なイメージがあるサラ・バラスにカルメンが務まるかどうか…。特に現在、サラ・バラスは娘さんと優雅に踊るチョコレートのテレビCMが毎日茶の間を賑わし大好評であるだけに、妖艶な、そして娼婦的な生き方をするカルメンのイメージとどうしても結びつかないのだ。

 舞台が開いた。

 とにかく洗練された舞台である。

 僕らの視覚に入る色は黒・赤・白だけである。花模様とか柄物の類は一切ない。

 バックの演奏者も舞台に居ない。しかし、バイオリン、ギター、カンテ、パーカッションの演奏だけは聞こえてくる。

 モノトーンの舞台には6つのドアーが開け閉めできるようにセットされている。そのドアーが開かれた。白いカーテンが膝下まで下ろされる。そこにスポット・ライトが当たる。団員全員の両足だけがクローズ・アップされる。サパテアードが激しく、情熱的に木魂し始めた。客席から観えるのは団員の足の動きだけだ。男も女も真っ赤なフラメンコ・シューズ…。

 今度はドアーの入口に突き出された団員の両手に照明が当たる。顔と身体はドアーの内側にあり見えない。白い指が自在に動き、人間の心の中の哀歓を表現する。一旦静止するや、今度はパロマを打ち出す。素晴らしい群舞である。

 この場面…演出・振り付けはサラ・バラス。全場面の音楽担当はダビッド・セレデュエラ他8人が担当。その中の一人はパコ・デ・ルシアである。

 サラ・バラスが登場した。

 情熱の女、カルメンとは思えないポニーテールの頭に、赤いバラ1本が刺してある。衣装はインドのサリーを思わせる真っ赤な、タイトなドレスである。あの開放的で派手な一般的なフラメンコ・ドレスではない。実に質素なサラ・バラスのカルメンである。

 サラのソロが始まった。Fandango・SUS HOMBRES・私の愛人…。

 流石である。サラは、衣装は簡素だが、そのダイナミックな踊りと繊細な手の動き、そして全体から醸し出す雰囲気が、ジプシーの女、男好きのする女、時には娼婦に、時には泥棒に変身する女、カルメンそのものに成っていくのである。

 観客はサラのカルメンに引き込まれてしまった様だ。

 サラ・バラスの衣装はマドリッドの高級ブティックとして日本でも人気のSybillaが担当している。

 LA HABANERA…お馴染みビゼー作曲・カルメンの代表的な曲…。

 この馴染みのある旋律ハバネラが流れてくるとサラのカルメンが更にカルメンらしく感じられてくる。テーマ音楽の効用は偉大である。

 DON JOSE…ドン・ホセ役のルイス・オルテガが力強い兵士を表現してファルゥカを踊るが、彼の末路はカルメンに捨てられる男だけに何か物悲しい憂いを秘めた表情を垣間見せたりする。好演である。

 この後、サラのカルメンとソレアをパレハで踊るが、オルテガはカルメンを射止めた男の喜びを爆発させ、サラはカルメンの幸せの絶頂期を見事に表し、調和のとれた名場面を創り上げた。

カルメン最期のシーン

 FIESTA DE LOS TOROS…いよいよ闘牛士の登場である…。

 ホセ・セラーノの闘牛士は筋骨隆々の背中を見せる場面から始まる。どう猛な牛と闘う闘牛士は強靭な肉体と勇気のある男である。カルメンはドン・ホセという愛人がいながらも、この闘牛士に心惹かれていくのだ。

 サラ・バラスはこの闘牛士役の踊り手ホセにも、金糸銀糸で彩られた光彩色の闘牛服を着せずに、上下、黒の闘牛服を着用させ、カルメンの赤のドレスとの調和を図った。

 この闘牛士と愉快に過ごすお祭りのシーンで、初めて舞台に勢ぞろいしたバックの演奏者が黒のスーツで姿を現した。

 このサラ・バラス舞踊団全員とサラ・バラス、ホセ・セラーノが舞台いっぱいに繰り広げるセビージャナスは本当に楽しい。プログラムにバレエ・フラメンコと記されてあった通り、この場面はバレエを観賞するように美しく、華やかであった。

 LA MUERTE…死

 いよいよクライマックス!! 嫉妬に狂ったドン・ホセがカルメンの命を絶つ場面は、過去、数々の演出家によって壮絶なシーンを創り出した。鋭いナイフでカルメンの喉を突き刺すシーン、馬に引きずらせて死への旅立ちを表現したシーン等など。

 サラ・バラスは将にバレエ・フラメンコに相応しい美しい死を演出した。

 ドン・ホセはカルメンを独り占めしようと狂おしいばかりにカルメンを抱く。カルメンを殺す覚悟で更に濃厚な踊りを展開し、カルメンを恍惚状態にして死へ誘うのだ。ドン・ホセの両手がいつの間にかカルメンの首に巻きつかれた。そして、一気に絞め殺すのであった。カルメンが絶命したところで暗転…。

 観客は息を飲んで舞台に集中する。次に我に帰り、起立し、スタンデイング・オーベンションで出演者を讃えたのだった。

 サラ・バラスのカルメンはこの後、ニューヨーク・パリ・ロンドン・そして日本で公開されるであろう。チャンスがあったらぜひ観てもらいたいと思う。清楚なイメージのサラ・バラスが淫蕩な女に変身していく様子を…。

“ARIKO”の舞台はトリアナで行われた
今年はビエナル鑑賞の日本人が少なかったのが残念

 トリアナの職人街からはいつも金属音が聞かれる。手仕事の職人達が小槌で金属板を叩く音は心地よい。その一角にエル・カチョオーロがあった。50人程が入れる空間スペースである。

 イベントが開催されると、大きなヤシの樹があるパティオに人が集い、バルも賑わう。下町の雰囲気がぴったりのこの空間は、若い芸術家達の展覧会会場に提供されたり、時にはフラメンコの発表会やフラメンコ愛好家達へのペーニャとして使用される。若い芸術家に門戸を開くトリアナならではの町づくりなのだ。

 屋良有子さんの舞台はここで行われた。会場には日本人が多く詰め掛けていた。この日の入場料は10eurであった。

 屋良有子さんのビエナルプログラムは“ COMPAS4×4・4人のバイラオーラの動き ”と題されているとおり、現在セビージャで努力、研鑽している4人の若手バイラオーラに白羽の矢が立ち、発表の場をビエナル組織委員会が提供したものである。

 従ってビエナルの正式プログラムの様な大がかりな舞台では無い。

 日本人は屋良有子さん一人である。

 この、その2のテーマは『美しく優雅なフラメンコ』にしぼって綴ってきたが、残念ながら、屋良さんのフラメンコは舞台全体を通して、いかにも貧しすぎた。

 そして屋良さんの友人達と察せられるが、日本人女性が、これから屋良さんが踊る神聖な舞台にお尻を落とし男友達とビールのラッパ飲みを始めた光景にはもう吃驚した。

 またアルティスタ達が出番を待つカーテンで仕切られたスペースに、これまた友人達と思われる人たちが何度も出入りする。これから舞台が始まる、という緊張感も減ったくれもない。僕らはアルティスタが最初の曲に賭ける緊張感が見たいのだ。舞台と共にハラハラ・ドキドキしたいのである。

 発展途上にある若手の舞台はこんなものなのか…?

 工夫次第では、もっとフラメンコ・ファンに夢を与えられるのに…。

 屋良さんは、とにかく一生懸命踊ってくれた。ドレスを3回も変えた。メイキャップは能面の様に一点を見つめ、怖い表情を終始崩さなかった。指の動きは感情たっぷりに表現した。足の動きは強弱を大胆に変化させた。

 そこには“ただ今、勉強中です”という肩書を外しても良い程、プロフェッショナルに徹した彼女の姿があった。フラメンコの本場セビージャで、芸に煩いセビージャ市民を前に堂々と踊った。それに対してセビージャ市民は日本人の踊り手に手を叩いてくれたが、その拍手は僕にはお座成りの様な気がした。会場にマノーロ・マリーンがいたが、偉大なマエストロは手を叩かなかった。

 もっと、もっと、人々の心を打つ芸を魅せて欲しい。そして、もっと、もっと素敵なプロの舞台を創って欲しい・・・・と、僕は願いながらトリアナの町を後にした。

 その後の新聞に、赤いドレス姿の屋良有子さんが掲載されていた。

 僕はその記事を切り抜いて資料集に張り付けてある。

 また、ビエナル開催期間中、彼女は時と場所を変えて4回も舞台に立つ機会を得た。観光客でいつも何時も賑わっているセントロ・インフォルマシオンに沢山置かれていたA4サイズの彼女の宣伝ビラは一枚も残っていなかった。多くの市民や観光客に“ARIKO”の名が浸透した事の証明である。

 セビージャで舞う日本人のバイラオーラ・ARIKO…。彼女の存在を、もはや、知らない人はいない。

 今年のビエナル観賞の日々が終わった。プログラムは素晴らしかった。

 しかし、観賞する日本人の姿が殆ど見られなかった。円安・ユーロ高でセビージャが遠のいたからだろうか…。

 僕は、観賞後、バルに集い、感想を述べ合う日本人が居ないと寂しくてしょうがない…。