我が家の家の中で一番風が通るのは台所である。窓に吊るしてある涼しげなデザインのガラス玉の風鈴が ♪♪ コロンコロン ♪♪と音を奏でる。この夏、世の中がやたらと省エネを唱えるものだから、バカ正直な女房が「エアコンは使わないで・・自然の風が一番涼しいのよ・・・」と、家族中に振れ回ったので、暑い日中も窓を開けっ放しにして、なんとか、暑さを凌いでいるのだ。
そういえば、前の家の森田さんの奥さんは、朝、午後3時、夕方の3回、玄関先に打ち水を施している。風鈴の音も打ち水も、確かに涼しくなるような気がするから、日本古来の風習も捨てたものではないね…。
今年の東京の夏は梅雨が明けた途端に、連続猛暑日に襲われたね。暑くなると、やはり、海が恋しくなるなぁ〜…。
でも、三鷹に住んでいると海が遠い…。
セビージャ市民の夏休み・海水浴事情
温暖なアンダルシアは、5月頃から日差しが強くなるので、海が大好きなセビージャっ子は5月の週末ともなると海に出かけていく。エリートや金持ちじゃなくても“チャレ”と呼ばれている、別荘というか、セカンドハウスを持つのが普通の家庭の慣わしだから、週末を海で過ごす生活パターンが板に付いているのである。
だからセビージャ市民は、1時間足らずで行かれる大西洋マダラスカーニャ海岸に、まるで近所にお使いに行くかのように、気楽に出かけて行くのだ。
この海岸避暑地には、小さい庭付きの長屋風マンションもあれば、心地よい海風が一杯に入る高層マンションもある。
土地そのものの値段が安く、アンダルシア州政府が庶民にもチャレを持つ権利があるという政策を実行しているので、比較的リーズナブルな値段で購入できるマンションが海沿いにびっしり建っている。セビージャ市民は恵まれているのだ。勿論殆どの市民は長期返済の月賦で買う。だから、金銭的にも楽なのだ。
仲良しの、役所に勤めているロシオの友人達が持つチャレへ5月頃から、週末に何度も行った。
「海へ行く」といっても大した用意をするわけではない。水着と着替えの下着を持ち、近くのスーパーマーケットでビノを買い、出かけていく。
5月、6月の海は、海に入って泳ぐという感覚が彼らには無い。水着で海岸を散歩し、涼しい風に当たり、友人と語り合い、日常のストレスを発散させるのが目的なのである。勿論、40℃、50℃になる7月~9月には思い切り海水に浸かるのは言うまでもない。
スペイン市民は、海への拘りが強い。スペインの領土を見ていただければ一目瞭然だが、スペインはポルトガル領とピレネー山脈を除けば、大西洋、カンタブリア海、地中海に囲まれている。だから市民は、水が温んでくる季節を迎えると、今か今かと、本格的な海水浴シーズンを待ち望んでいるのだ。
6月になると、スペインの海岸を管理・監視する当局が厳選したbanderas azules・青旗海岸がメディアを通じて発表される。
今年は527箇所の海岸が選ばれた。選ばれるには厳しい条件をクリアーしなければならない。海水の温度、砂が美しく清潔か、海岸に専従の清掃人を確保しているか、シャワーの設備は、海岸近辺のレストランの数と味、救急隊が常時待機しているか、海岸近くに救急病院があるか、駐車場は、車いす生活者を保護するスタッフがいるか…、等などの条件を満たした海岸は本当に美しく、安心して海遊びが出来るのだ。
セビージャ市民が挙って行くマダラスカーニャ海岸も、勿論、青旗海岸である。
僕らは、いつ行っても美しい海で、気楽な海岸リゾートを毎週の様に楽しんでいた。なので、海へ行くのが日常の一部という感覚であった。
しかし、東京暮らしは、そう簡単にはいかない。日帰りなら早朝に家を出なくちゃならないし、車は渋滞を覚悟しなくてはならない。宿泊するなら、ホテルや民宿を探さなければならないのだもの、海へ行くのもストレスが溜ってしまうよね。
海が、実に遠いのである……。
お酒好きの仲間が集まって、小田原へ
一年中で一番暑い大暑の日。僕らは小田原へ出かけた。
「必ず水着をもってくるように!!」というメールが小田原行きの仕掛け人、田中美穂さんから届いた。僕のエッセイに度々登場する田中美穂さんは日本を代表するフラメンコ舞踊家であり、女房の師匠である。というよりも、もう、永いお付き合いなので、美穂さんのファンであり、美穂さんを慕う仲間達が自然に仲良しグループを作ってしまった。と言った方が良いだろう。
ところで、夏の小田原だから、読者の皆さんは、有名な海水浴場、相模湾の御幸の浜あたりで泳ぐのかと、お思いだろうが、この仲良しグループは目的が違うのだ。
目指すのは、相模湾を眼下に見渡せる東海道線・根府川の “ヒルトン小田原・リゾート&スパ”である。このホテルでプールに浸かり、一杯やって英気を養おう、という訳なのだ。
もう、お解りだろうが、この田中美穂さんを囲む仲良しグループは大のお酒好きの仲間たちなのである。つまり、お酒が好きな仲間が自然と集まり、これまた自然にお酒が苦手の人は来なくなってしまった、というわけである。
小田急ロマンスカーが小田原駅に正午近くに到着した。
「お昼にしましょう」と美穂さんが西口に歩を進めた。
美味しい物屋を見つける嗅覚が鋭い美穂さんは「ここが美味しそうよ」と言って、小樽・釧路より直送・北海道の味“積丹”の暖簾をくぐった。
本来なら、折角、小田原に来たのだから名物の小田原かまぼこや鰺の一夜干し等‥海の幸の店を探すのだろうが「ここが良い!!!」と全員一致で北海道名産の店に押しかけたのだ。
「生ビール!」「イモ焼酎オンザロック!」「日本酒・冷!」
それぞれが好きなお酒で早速酒盛りが始まったのである。
「ひと泳ぎしましょう!!」
全員、水着姿でプールに勢ぞろい。
美穂さんを始め、女性陣は日頃からフラメンコで身体を鍛えているだけに、水着姿が美しい。
このヒルトン小田原リゾート&スパの最大の特徴は流れるバーデゾーンの充実した各種スパである。超激流逆噴射スパに身を委ねるとアッという間にお腹がへっ込む、様な気になる。25メートルプールの歩くレーンも、ゴツゴツした石が敷き詰められ、実に刺激的な歩行が出来る。リラクゼーションルームの設備も申し分なし。
全員がニコニコ顔でプール遊びを楽しんだ。外の芝生に立つと相模湾の海面がキラキラと輝いていた。
この夏、たった一度の、僕らの海…
「上島姐さんのお部屋に集合!!」 美穂さんから再び号令が掛る。
この仲良しグループの中で一際、存在感のあるのが“上島姐さん”である。仲間の中では一番年上だが、日ごろ鍛えた肉体美は実に若々しく、洋服のセンスは抜群で、一流好みのお洒落な姐さんである。そして料理が上手い。
この日も、両手いっぱいに酒の肴を携えて僕らを持て成してくれた。
“明石から取り寄せたタコ”“白滝と肉団子の炊き合わせ”“ゴールド・ミニトマト”“世界各種のチーズ”“カモの燻製”“秦野の名産・南京豆”、僕が最も好物な“東京湾で採れた江戸前風味のコハダ”“山口・大留のかまぼこの厚切り”等など。
いずれも、食通である上島姐さんが吟味して選んだ物ばかりである。
そして、豊富で高価なお酒の数々。最高峰の日本酒・キッス・オブ・ファイヤー、グァテマラのラム酒・ロン・サカバ・・至れり尽くせりの上島姐さん流の持て成しである。飲み、食い、バカ話をし、楽しい宴が続く。
ふと窓を見ると、相模湾が霧で包まれ、視界ゼロ。僕らは雲の上で酒宴を繰り広げていたのである。僕は酔いを覚ましに外へ出た。
箱根の連なる山々をバックに、相模湾を一望する高台に出ると、更に霧が濃く起ちこめ、Tシャツがしっとりと濡れる。僕は霧の中をゆっくり歩いた。
湿気が僕を癒してくれる。ドライなセビージャの海よりも、僕は水気を含んだ空気の方が好きだ。風が出てきた。この風は海から吹いてくるのだろうか、それとも箱根の山から吹き下ろす風だろうか。
一瞬、海が見えた。
小田原の海は、どんよりと鉛色の表情を見せ、闇が迫ってくるのを待っているかの様だった。
この夏、たった1回の海行き…。海岸を歩くわけでもなく、海に浸るわけでもない、僕らの海…。
翌朝、それぞれがそれぞれの職場に散っていった。清々しい表情で…。 |