Vol.130

2007年5月11日 “RESIDENCIA”取得
僕らの記念すべき日になった

倉 持 隆 夫


 「やっと貰えるぞ・・・」と、言いながら5月11日の午前8時に家を出た。

 目指すのはセビージャ観光の目玉の一つスペイン広場である。我が家から歩いて約25分、メトロ・セントロの路上電車が完成したセントロ地区は、バスやタクシーの乗り入れがシャッタアウトされたので歩く以外に方法がない。

 新装なったコンスティツシオン大通りを通り、セビージャ大学のわき道を歩き、ロペ・デ・ベガ劇場への信号を渡り、マリア・ルイサ公園内のスペイン広場に向かう。

 スペイン広場はセビージャ観光名所巡りで、早朝の第一番に訪れる観光地として名高く、余りにも壮大な宮殿に、起き抜けに見せられる観光客はまず圧倒され、目が覚める。

 広場を囲む宮殿のアーチ型の壁画はスペイン各県の特徴や歴史を描いたタイル画で装飾されているのが特徴である。

 僕らもセビージャに来た当初は何度も散歩をした。スペイン広場は、映画“アラビアのロレンス”のロケ地にもなったので映画のシーンを連想しながら見物したものだった。

それにしても時間がかかる…
四度の訪問の顛末を披露しよう

 そんな訳で、このスペイン広場は僕の好きな散歩コースではあったが、しかし、今回は散歩や見学では無く別の用件だったので、心は弾まず、イヤイヤながらの今回4度目の訪問である。

 スペイン広場の正面から左側の回廊は、現在、国のお役所仕事を司る事務所やスペイン歴史博物館などで占められている。

 僕らが行くところは“Comisaria Policia Nacional・国際警察署”である。要するに僕らみたいな外国人が諸々の相談に行き、スペイン国アンダルシア州セビージャ県で生活する為の、正当な権利を証明してもらう様、事務手続きを行う所である。日本と同じようにお堅い警察機関なのだ。

 この警察機関は仕事が鈍くてルーズで、何とも腹立たしいところ、でもある。

 警察署と聞いただけでも、余り乗り気のしない場所であることにお気づきかと思うが、読者の皆さんには、イヤイヤながらの訪問の意味が判ってもらえたのでは・・・と思う。

 さて、僕らの目的は“RESIDENCIA・長期滞在居住許可書”の証明書をスペイン政府から発行して貰う為である。

 日本で散々苦労して“VISADO・ビザ・査証”を獲得した経緯はVol.101「あわや逮捕のスペイン行き」Vol.112「ほとほと嫌になった査証申請書の総て」に詳しく記したが、長期滞在査証を取るために六本木のスペイン大使館を初めて訪ねたのが去年の6月28日、以来、約6ヵ月後の12月28日に、やっと、ビザが下り、パスポートの査証欄に日本大使館発行のVISADOが貼り付けられたのである。

 この査証によって、あの忌々しいフランクフルト空港のイミグレーションで、ナチ風監査官から睨まれる事はなくなったが、まだ、完璧ではない。

 今度は、スペイン本国で居住許可書を貰う難関が待ち受けているのだ。

 スペイン国際警察署に於いて、レジデンシャルを獲得する苦労は、何人もの日本の仲間から「ほとほと嫌になるよ。スペインの警察官のバカタレ野郎!!」と、その無能ぶりを聴かされていた。

 面倒で一筋縄ではいかない事だと、納得していたが、誰もが言う通り、時間のかかる作業だった。

●初回の訪問、3月15日 木曜日 午前11時

 スペイン広場内の国際警察署を初めて訪ねた。もう、国際警察署の周りは外国人で満ち溢れていた。

 日本大使館で作成した完璧な書類を係官に見せ「申請書を下さい」と頼んだ。

 「何の申請書だ」と、係官はブッキラボウな返事。

 それでも何とか1回目は10分程度で書類を貰う事ができた。

 直ちに家に戻り、スペイン語辞書と首っ引きで格闘し、申請書を仕上げた。

 それでも不安なので、仲良しのアナに来てもらい、書き込んだ内容を点検してもらった。

●二度目の訪問、3月19日 月曜日 午前7時

 朝飯抜きで家を出た。夏時間に成ったとはいえ、朝の7時はまだ薄暗い。朝陽が出て明るくなるのは8時過ぎぐらいだ。

 足早にスペイン広場を目指す。スペイン広場の西側回廊を占める官庁関係の事務所前には、既に数多くの外国人が縦に長い列を作っていた。

 殆どが色の浅黒いアラブ系か色白の東欧諸国の顔だ。そしてアジア系の顔も見える、中国人だ。日本人は僕らだけだった。こうして、事務所が開く午前9時を待ち、係官と一対一の面接を受け、書類を審査してもらうのだ。

 僕は先頭から待ち人の数を数えた。238番目が僕らであった。早い連中は午前6時頃から並び始めるらしい。

 8時半になって少し列が前進した。警察官が扉を開けたらしい。先頭集団が建物の中に吸い込まれていった。書類審査の順番を待つ札が配られるのだ。

 この番号札を貰うのに時間がかかる。何故なら、書類審査の内容がAからFまで分類されているので、自分の目的を係官に告げるのに身振り手振りを交えて、全てスペイン語で説明しなければならないのだ。外国人ゆえに、この難しい特殊用語を簡潔にアピールする事は容易ではない。

 Aは最初の申請、Bは基礎の案内、Cは個人申請者、Dは学生申請者、Fは地方の者、と区分されている事が電子辞書で判断できた。

 待つこと1時間半、午前9時になった。ふと、見通しのいいスペイン広場を見ると、今日の第一弾の観光客が大型のツアーバス前に集まっていた。そして群れを成してスペイン広場に散っていく。

 日本人ツアーの一団だった。懐かしい顔、顔、顔。しかし彼らは全員が急ぎ足だ。スペイン広場の余りにも壮大なサン・テルモ宮殿の景観に見とれる者、写真を撮る者、と様々だがアッという間に、またツアーバスに集合した。なんと15分間のスペイン広場観光であった。こんな観光で、果たして思い出に残るのか・・・・と、思わざるを得ない。

 立ちっぱなしで2時間が経過した。やっと、僕らの順番が回ってきた。

 僕らは迷わずAの番号札を貰った。そして、待合室の空席を見つけ、やっと椅子に座ることが出来た。僕の番号札はC-87だった。ということは、僕らの書類審査は87番目という事になる。

 じっと我慢して固い椅子に座っていた。

待つこと7時間超、
その日の面接は5分で終了…

 トイレに行きたくなった。係官に聞くと「君たちのトイレはない。ここはサン・テルモ宮殿の世界遺産の建物だから公共トイレが作れないのだ。スペイン広場を出て右に曲がるとレストランがあるので、そこで用を足して欲しい」と言われた。

 僕はレストランに走った。タダでトイレを借りるのは気が引けたので、カフエ・コンレチェとモンタデイット・デ・ハモンを2個買って、元の席に戻った。やっと朝飯に有り付けたわけだ。

 改めて回りを見渡してみた。ここには各国の外国人の顔がある。種々の言葉が飛び交っている。皆、退屈なのでお喋りに華が咲く。特に僕らはたった一組の日本人夫婦なので、チラチラと様子を伺い、しゃべり掛けてくる。僕も興味津々で積極的に言葉を交わしたが、その結果、モロッコ人、エクアドル人、コロンビア人、ルーマニア人、イギリス人、パキスタン人、フィリピン人、インド人、バングラデシュ人、中国人等、各国の移民労働者である事が判った。

 スペインは2004年5月1日から、それ以前の移民受入国10カ国にプラスしてEU加盟国17カ国の移民を全面的に受け入れる法律を制定、その結果、スペイン居住許可所有者が270万人以上となっている。そして、当局は非合法移民の正当な居住手続きを積極的に実施、従って、このセビージャ国際警察署も連日、手続きの外国人で満杯なのである。

 話をした各国の人々は口々に言う。

 「スペインはとても暮らしやすい。なぜなら、スペイン市民が移民を積極的に受け入れてくれるし、余り差別を感じない。なにしろ、今、スペインは景気が良い。この15年間、経済成長率が3.4%だもの、好景気が続いているからね。居住許可書を手に入れれば、仕事はし易い。仕事をしながら、次は労働ビザを正式に獲得するつもり・・・。労働ビザがあれば収入が増えるからね・・・」と、真剣な顔つきで語ってくれた。

 午後2時半になった。すでに、7時間が経過した。またもや、腹が減ってきた。

 「我慢、我慢」と、家内に呟き、ひたすら耐えた。

 そういえば日本のスペイン大使館の女性館員が言った言葉を思い出した。

 「レジデンシャルの手続きは相当面倒だし、時間を労するわよ。だから、私たちも、あなた方に何度も足を運んでもらい、完璧な書類を作成するお手伝いをしているの。完璧な書類なら、面接の際、難しいスペイン語でアレコレ言われなくて済むから・・・・。あぁ、それからね、いくら国際警察署の係官がルーズでも怒っちゃダメよ。『私たち外国の日本人があなた方のスペイン国に住まわせて頂く』という気持ちを持って、じっと我慢するのよ・・・」

 やっと「C-87」の呼び出しがあった。

 係 官の女性は優しそうだ。

 「書類は完璧です。でも、ヒースロー空港の入国印が無いわよ。でもイミグレーションの係官も忙しいからねえ・・・印を押すのを省いたのでしょう。日本の出国印があるから、『善し』としましょう。来週の3月27日に銀行の経費支払い証明書と写真を2枚持って来てください。またね・・・・」

 面接は5分間で終わった。日本のスペイン大使館女性館員の親切さが身にしみた・・・。

 それにしても、ほぼ一日がかりの作業であった。

●三回目の訪問、3月27日 火曜日 

 午前9時までに国際警察署に到着した。

 相変わらず長だの列である。今回は必要手続きだけなので、列に並ぶ必要は無いと思い、写真つきの書類を見せ、署の中に入ろうとした。

 「列に並びなさい!」と、係官のキツイ命令。

 またしても、2時間近く列に並び、番号札を貰い、係官の席へ呼び出された。

 前回立ち会ってくれた物分りの良い女性係官では無かった。

 僕は一瞬勘がひらめいた。

 「簡単にはいかないかもなあ〜」と、家内に囁いた。

 案の定である。

 「書類が足りません。もう一度、これとこれとこれを確認して、完璧な書類を持って来なさい。パスポートに入国印も無いわよ、どういう訳なの・・・」

 僕らは沈黙するしかなかった。懸命に頭の中でスペイン語を探した。

 「今回の面接は2回目なのです。前回はパーフェクトと言われ、本日、銀行の領収書と写真を持って来たのです。間違いは無いと思いますが・・・・」と、あくまでも冷静に振舞った。

 その時、なんという偶然だろう。前回に立ち会ってくれた頭のよさそうな女性係官が僕らの席を通り過ぎようとした。

 僕らと目と目が合う。

 「あっ、どうも」と挨拶すると、彼女は、僕らの困った雰囲気を察知してくれたようだった。

 彼女が僕らの係官に直接話しをしてくれた。

 「OKよ。じゃぁ〜人差し指を出して、指紋を取るわよ・・・」

 「ハイ、全てOKよ。あなた方のレジデンシャルを作成するためには45日ぐらい掛かるの。45日後にまたいらっしゃい。またね・・・・」

 こうして僕らは二回の面接をクリアーしたのであった。

●45日後、四度目の訪問、5月11日 金曜日

 3月27日から数えて、きっちり45日後のこの日、今回は実にスムーズだった。

 待ち番号を貰う為の列に並ぶ必要もなく“PERMISO DE RESIDENCIA・長期滞在居住許可書”の証明カードを引き渡すカウンターに行くと、係官は穏やかに「パスポートを見せてください」と言い、ケースの中から、まず僕の証明カードを、続いて女房のを提示して「ムイ・ビエン」と笑った。

 たったこれだけの事だ。時間にすると1分間ぐらいの応対であった。

 僕らは国際警察署の外に出た。

 「何だか拍子抜けしちゃったなあ〜、もっと時間が掛かるかと思ったよ」

 「それにしても、まもなく6月ですもの。日本のスペイン大使館で手続きを開始してから、ほぼ1年よ。他国で暮らす為の証明書を獲得するのは、ひたすら『忍耐』ね。日本のスペイン大使館員が言ったように“スペイン国で暮らさせていただく”という気持ちを忘れないようにしなきゃね・・・」と女房がしみじみと言った。

 僕のレジデンシア登録番号はE0880864そして外国人登録番号はx8037429・xであった。つまり何時からこの制度が始まったか判らないが、僕はスペインに住む権利を得た803万代目の外国人なのである。