Vol.119
チュニジア旅行…その3
いよいよ、サハラ砂漠の大冒険へ…

チュニジア旅行…その1はこちらをご覧ください。
チュニジア旅行…その2はこちらをご覧ください。

倉 持 隆 夫


 いよいよ、サハラ砂漠へ向けて、12時間の旅が始まる。

 エル・コルテ・イングレス旅行社のチュニジア側の受け入れ先は、ニュー・スペースという旅行社である。ガイドはエディ25才、ドライバーはミダマ34才。スペイン語の話せるこの2人に、大げさに言えば僕らの命を託すことになる。

 いやいや、大げさでもない…。現実に砂漠ツアーでは、車両故障で砂漠に置き去りにされ、連絡用無線が備えてなくて怖い思いをしたトラブルが起こっているのである。

 僕らを運ぶ車両は、砂漠地帯のオアシスの町トズールまでがベンツのミニバス、サハラ砂漠を疾走するのはトヨタ4WD・ランド・クルーザーと決まった。思わず、これなら安心と思った。

 快適に過ごしたカルタゴのゴールデン・ツゥリップ・ホテルを早朝6時に出発した。砂漠の町トズールまで400キロ、到着予定は午後6時である。

まずは、巡礼の町ケアロンへ

 高速道路A1は、大都会のチュニスを通過、ボン岬を横断し、最後の3日間を過ごす大リゾート地帯ハマメット[チユニジアの旅 その2で紹介]を見ながら海岸沿いをスムーズに走る。ハマメット湾の爽やかな風を受けながら、チュニジアの真珠と言われる美しい白砂の海岸線が自慢のスースに到着。A1はここが終点。

 内陸部の古い都、アフリカ・イスラムの聖地ケロアンまでは一般道路を行く。

 勿論、アスファルト道路であるが、商業、農業、観光、生活車の、全ての車両が利用する一本道の車道である為、相当ガタガタする。しかし、運転手のミダマは猛烈なスピードで飛ばす。町の中には信号機があるが、郊外は左右がオリーブ畑の田舎道なので信号は無い、人々の往来も殆ど無い。

 ケロアンは巡礼者が集まる町である。ガイドのエディが、グランド・モスクやシデイ・サハブ霊廟を案内しながら、スペイン語でしゃべり続ける。

 「チュニジア市民が守らなければならないイスラム教五行義務の一つとして“一生に一度は聖地メッカに巡礼に行くこと”が義務付けられています。しかし、メッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目の重要なイスラム聖地ケロアンを一生の内7回巡礼すれば、メッカへの一度の巡礼に値します」と、僕らに真剣に説明した。

 そういえば、白装束に身を固めた巡礼者達の一群を町の一角で見たような気がした。

 エディの説明を聴いてあげないと悪い気がしたので僕は「フムフム、なるほど、なるほど…」と、さも、理解したような顔をしていた。

 女性軍のアナ、ロシオ、ナオちゃん、家内は、白いケープを頭から顔全体に覆っている。観光客でもイスラムの決りは厳しいのだ。

 ケロアンは絨毯の生産地として名高い。

 絨毯織りのおばさんが1ヶ月かけて織り上げた手織りの高級絨毯は、前から欲しいと思っていた。

 半円形のベンチに座らされ、アラブ・ティがサービスされる。目の前で、絨毯を次々と公開する。実に美しい。色使いが豊富だ。そして光沢もある。大きなものからベッド・サイドの敷物まで、手でさわって感触を楽しむ。

 僕は藍色の絨毯に見惚れ、つい「それは幾ら…?」と、聞いた。

 待ってましたとばかりに、男が駆け寄ってくる。

 「1000ディナール!約10万円」  「高い!」と、僕。
 「800ディナール!約8万円」   「高い!」と、僕。
 「500ディナール!約5万円」   「高い!」と、僕。

 男は僕に更ににじり寄ってきた。

 「300ディナール! 約3万円 にするよ。安いよ」

 僕は女房の顔を見た。

 「私は好きな柄じゃない。いらない!」という表情で、つれない返事。

 結局、誰も買わずに店を出ようとしたら、男が言った。

 「これが最後!200ディナール 約2万円 でどうだい…」

 僕は買おうとしたが、女房はさっさとミニバスに乗り込もうとしていたので、結局諦めた。しかし、後で女房と共に後悔したのだ。このあと、各地で絨毯を見たが、あれほど上質で高級感のある物に出会えなかったのである。

次に、コロセウムの町エル・ジェムへ

 ケロアンからブルギバ街道を地中海方面へ突っ走り、有名な円形闘技場・コロセウムがそびえ立つ町エル・ジェムに向かう。

 この辺りからは、まだチュニジアの中部だというのに砂漠化が進み、左右は荒涼たる砂地が果てしなく広がっている。大樹は全くなく、健気にも野生のハーブがこんもり盛り上がり、点々と生えている。集落が近くなると、砂漠の町にしか見られない、日干しレンガで出来た簡素な家々が街道沿いに並ぶ。

 巨大な建造物コロセウムが姿を現した。ローマ時代の円形闘技場である。世界遺産のこのコロセウムは、しっかりと原型を留めており、本家ローマにある遺跡よりも崩れていない。

 僕らは地下に潜った。物知りのロシオが突然「ウオッ〜」と、ライオンの真似をしながら、漆黒の洞窟から飛び出してきた。

 「ここはライオンを飼っていたところ…」「ここは奴隷や罪人の部屋よ」「ライオンと奴隷や罪人との戦いは地上のアリーナで行われたのよ」と、説明してくれた。なにか、背筋が凍るような気がした…。

途中、ラクダの大群に遭遇
ついにサハラ砂漠に到着!

 ベンツのミニバスは更に南に向かう。目標は砂漠の中の、オアシスの街トズールだ。

 すでに8時間のバス旅。ガフサで小休止。

 回りの風景は更に砂漠の様相を呈してきた。西へ行けばアルジェリアの国境、東へ行けばリビアの国境だ。現在チュニジア人は国境を越えて行き来することができるが、我々日本人は日本政府が政情不安を理由に観光ビザを発給していないので行くことができない。

 ベンツのミニバスは、相変わらず変化のない、実に平坦で荒涼とした永遠と続く砂地大地を走っている。所々にサボテンが肉厚の葉を広げている。

 全員が疲れ果てウトウトと居眠りをしていた時だ。

 「アッ!!ラクダだ!!」と、アナが声を張り上げた。

 しかも、ラクダの大群だ。100頭…いや200頭…。

 ゆっくりゆっくり道路に向かってくる。

 アッと言う間に車道がラクダに占拠された。ベンツも止まる。後続の車も停車。

 僕らは車を降り、ラクダの大群へ近づいて行った。生まれて初めて、手の届くところでラクダを見た。

 おとなしい…。愛嬌のある顔だ…。

 先頭のラクダが行く道を、のそり…のそり歩いていく…。僕らはとうとうサハラ砂漠に到着したのだ。

オアシスの街、トズールは
想像以上に近代的だった

 「オアシス・トズールまではもう直ぐです」と、エディが言った。

 見えてきた!! ナツメヤシの森を肉眼で捉えることが出来た。

 僕がイメージしていた、砂漠の“オアシス”は、本やドギュメンタリーや映画に出てくるような、何世紀もの間、人間の手が入っていない厳しい自然のなかに、突然現れる清流な水溜まりと椰子の木の森、あたり一面砂ばかりの砂漠、を連想していた。

 が、オアシス・トズールは、想像を遥かに越えた巨大な街であった。街は舗装され、商店も数多く建ち並び、首都チュニスのメディナの喧騒が感じられる。イメージしていた民族衣装を着けた遊牧民の男や女は一人もいない。ジーンズやワンピースで颯爽と歩いている。

 時折、濃い髭を貯えた華奢な老人がロバの背にまたがり、荷車に野菜を載せて通り過ぎる。彼ら年寄りだけは、頭から布を纏い、からだ全体を暗い布で巻きつけた民族衣装を着ていた。

 ここまで12時間のバスの旅…。

 このトズールは、かつて砂漠を渡り歩いていたノマド[遊牧民]達の群れ、ベドウィン、ベルベル、ムラジグ、サフラン、アダラス、ファオウア、グリップ達が、過酷な夏の時期に、このトズールで一休み、それが恒例となって定住化が進み、現代に至ったのである。

 このトズールを始め、ネフタ、ケビリ、ドゥーズ、サフラン、サブリア、エル・ファオウア、マトマタは、其々の街がノマドの民族名を名乗り都市化したのである。現代では、整備された国道が網羅してあり、サハラ砂漠のド真ん中とはいえ、車で行き来ができる。

 その中でも最大規模に都市化したトズールは、今や、パリからの直行便が運行する国際空港があり、高級ホテルも林立している。街のあちこちで近代的な建築物の工事が行われて活気がある。

 市内には、トヨタの4WD・ランド・クルーザーがやたらと走っている。このトヨタ車がトズールの象徴である。観光客はこのトヨタ車に乗り、ここから数キロしか離れていない、本当の砂漠地帯、サハラの大砂丘へ冒険の旅に出るのだ。

オアシスに入り、ナツメヤシを食す

 翌日も快晴だった。

 4WD・ランド・クルーザーはまずオアシスの象徴、緑豊かなナツメヤシの森へ向かう。ここでロバが引っ張る馬車カレーシュに乗り換え、オアシスの中に入る。

 オアシスは余りにも広大でアマゾンのジャングル地帯を思わせる。観光客が歩いて散策する事などは出来ない。ガイド付でないと迷ってしまうからだ。

 エディの解説が冴える。

 「このオアシスには20万本以上のナツメヤシが植えられてあります。それも個人の持ち物です。オアシスには数箇所に水が湧き出る場所がありますが、灌漑設備が完璧に施されてあります。だから、20万本のナツメヤシが育つのです。この森の中では大勢の人が働いているのです。ナツメヤシの果実はダットと言って、甘く美味しい実です。ビタミンも豊富で、チュニジア人にとっては大事な食べ物です」

 「ナツメヤシは150年も生きています。世界中から取引がありますが、取引は90年契約です。親から子供へ。子供から孫へ。永遠と契約は続きます。このナツメヤシはダットだけではなく、人間に沢山の恵みを施します。栄養万点のダット、葉は籠・屋根・装飾品の材料に、幹と根は燃料になります。花は高級いけばなの材料に。用途は一杯ありますので、世界中から注目されているのです」

 エディは、ナツメヤシの大木の前で僕らをカレーシュから下ろした。

 「ホラ、沢山のダットが成っているでしょ。今が食べごろです」と言ってダットを採集する男を呼んだ。彼は、命綱も付けずにスルスルとナツメヤシの木に登り始めた。そして新鮮なダットを籠にいれ降りてきた。

 「美味い。甘い…」

 「お土産に持っていきな…」と、逞しい顔の男が言った。

山岳オアシスで買ったアメジストは…

 4WD・ランド・クルーザーは次に山岳オアシスへ僕らを運んだ。タメルザ渓谷だ。

 砂漠の中の険しい山岳地帯には、現在もベルベル民族が住んでいる。ガイドもエディからベルベル人のハイマに変わった。

 ここは岩だらけの地層である。切り立った渓谷をゆっくり慎重に歩く。誤れば、下を覗くとゾッとするような深い谷に落ちる。山肌は太古からの年輪が刻まれ、渦巻状の独特の模様が山々を飾っている。所々にベルベル人が住む洞穴住居が見える。しかし、人の姿は無い。ミステリアスな山岳風景だ。

 かなり歩いた。行き着いた場所に小さい池が現れた。ホット一息。手を入れてみたら温い。温泉が湧いていたのだ。水が在って、温泉が沸いて、こここそオアシスだと、実感した。

 物売りの少年が僕に寄ってきた。ベルベル人の子供で目が愛くるしい。石を僕に突き出した。こぶし大程の真っ二つに割れた石。そこからは紫色のガラス状の物がザグザグに突き出ている。思わず僕は「美しい」と思った。

 少年は現地語で何か言った。僕には「アメジスト・紫水晶」と聞こえたのだ。

 言われたとおりの値段20ディナールで買った。

 すぐに石に詳しいクマさんに見せた。

 「たかおさん、これは紫色の絵の具を塗った、只のガラスだよ…」

 僕はしかし、あの目のきれいな少年が騙すわけはない!と信じている。

 この石はセビージャの家の玄関に置いてあるが、今でも光沢を放ち、紫色の水晶がキラキラ光っている。ような気がしている…。

 更に奥にいくと、滝が落ちていた。泥濘には水草も生えている。小さいカエルが飛び跳ねていた。カエルがいるという事は、これを食糧にする毒ヘビがいるという事だ。

 僕は辺りをキョロキョロしたがヘビは居なかった。でも、麓のみやげ物屋には、生きた毒ヘビが瓶の中でのた打ち回っていたし、怖いさそりも生きたまま売っていた。

ついに、ランド・クルーザーでサハラ砂漠を疾走

 いよいよ、サハラ砂漠を疾走する時間がやって来た。サハラ砂漠の総面積はアフリカ大陸全体の四分の一を占めるそうだ。従ってチュニジア国自体がサハラ砂漠に呑み込まれていると思っていい。でも、今まで体験してきた場所には、僅かだが緑もあるし、水もあるし、掘建て小屋ほどの家もあった。

 だが、今、疾走するランド・クルーザーからの風景は延々と続く砂丘だけ。他には何も見えないのだ。

 平坦だった砂漠がうねって来た。車道らしき痕跡が続いているが、4WDは凸凹のある大小のくねくね道を、スピードを落とさずに疾走する。

 「ぶつかる!」と誰かが声を上げた。

 2、30メートルの小高い砂丘目がけて4WDが突進する。「アッ!!」と思った瞬間、傾斜45度ぐらいの丘を4WDはアッサリと登りきった。そして、下り。正面フロントガラス越しには前方の風景が無い。目線を下に下ろすと、物凄い傾斜の坂道だ。

 「ワアッ〜 !! もうダメ !!」ロシオが叫んだ。

 何事もなく4WD・ランド・クルーザーは平地に降り立った。

ああ、マグレブに陽が沈む

 砂漠の中はどこを走っているのか方向感覚が全く無い。やがて白い湖が見えてきた。ショット・エル・ガルサという塩の湖だと言う。しかし水は無い。干しあがった塩が雪のように白く見えるのだ。こんな程度の塩湖はいくらでもある。明日はサハラ砂漠最大のショット・エル・ジェリドを横断し大都会を目指すのだ。

 ラクダ岩を通過した。

 サハラ砂漠の荒涼たる風景を見て「とても美しく幻想的でロマンティックだ」という人がいるが、確かにそうだが、僕は恐怖心で一杯だった。もし、車が故障したら、どうしよう…?

 水はおろか、飴玉一つもない。ここで飢え死にするしかないのだ。

 4WDは小高い丘に停車した。

 サクサクした砂丘を登る。陽が暮れてきている。風が出てきた。

 ピンク色に近い細やかな砂が風に舞い上がる。頬にあたる。目に入る。鼻の穴に入る。口の中に入る。誰も口を聞かない。砂を手にとってみたが全部手の平から零れてしまう。砂を掴むことができないほど精錬されたサハラ砂漠の砂であった。

 平地の上で佇んでいると、ギラギラした太陽が地平線近くまで落ちてきている。

 “マグレブに陽が沈む”

 隣国のアルジェリアとチュニジアを総称してマグレブと呼ぶが、今まさに西のアルジェリア側の地平線に太陽が没する時を迎えているのだ。

 僕らは全員無言で、刻一刻を肉眼で確かめたのだった。

広大な塩の湖を、一本道を走って横断

 翌朝、五つ星ホテル、ソフィテル・ホテルを7時に出た。オアシスの街トズールの中でも最高級クラスのホテルだったが、ひたすらシャワーをとって、飯を食い、寝るだけ、に終始したので、このホテルの印象は薄い。

 さぁ〜今日は塩の湖を横断し、ラクダに乗ってサハラ砂漠を歩くのだ。

 そして、再びベンツ・ミニバスに揺られ、13時間後に憧れのゴージャスなリゾート地ハマメットに向かう。

 CHOTT EL JERID[ショット・エル・ジェリド]は北アフリカ最大の塩湖で、チユニジアの真ん中に位置し、限りなくアルジェリアに近い。広さは想像を絶する程で、5000キロ平方メートル。

 ランドメクルーザーは今日も快調だ。 

 砂漠の砂の色に変化が見られた。ピンクの砂地が茶色く湿った大地に変貌する。

 しかし余りにも広大なので、全体的には初雪が降ったように、白っぽく見える。それがギラギラした太陽の光に当たって、上質なクリスタル・ガラスのように美しい。これが塩の結晶なのだ。今は雨季ではないので、湖は乾いている。冬、雨季になると、満面の水をたたえ、幻想的な雰囲気を演出するのだ。

 行けども、行けども、ショット・エル・ジェリドを横断する1本道が続く。

 塩の道の終点ケビリまでは96キロもある。

 途中下車して、クマさんが塩湖の淵から一掴みの塩を採取してきた。

 「ウ〜ン、しょっぱいね…」と言う位の塩加減である。

 ドゥーズの町に到着した。町で市場や家畜市場を見学した。庶民の生活に触れた。僕はラクダの皮で出来たスリッパを買った。女房とお揃いで…。

 物売りたちはノマドの最大部族ムラジクの男たちだ。商売するのは男だけに限られ、女は買い物客の中にいるだけだ。男たちは逞しい。身体も大きく、皆、髭をたくわえ、ゆったりとした布を頭から全身まで覆う、民族衣装の伝統を守っている。何だか、エキゾチックでカッコ良い。

 クマさんはしきりとカメラのシャッターを押している。可愛い少女にカメラを向けると、少女は後ずさり。父親が前に押し出し、不安げにクマさんを見ている。画家のクマさんは深まる秋の季節に、必ず個展を開くのが恒例行事だが、今、素材をカメラに収めているのだ…。

 恐らく…クマさんの頭の中はチュニジアをテーマにした絵を構想しているのではないか…。と、思われた。

気分はアラビアのロレンス
ラクダに乗ってサハラ砂漠を行く

 さあ〜いよいよラクダに乗ってサハラ砂漠を止め処もなく歩く時間がやって来た。

 ラクダはオフラのグランド・デューンから出発する。

 僕らは顔と頭を覆う布で目と口以外の部分をグルグル巻きにされた。更に首から全身を覆う奇妙な民族衣装を着せられた。全員が正直言って似合わない。

 可愛らしいのはナオちゃんだけ。家内はサングラスが鼻から落ちそうで何か可笑しい。

 僕は、まさに田吾作スタイルで稲刈りに出かけるような装いだ。

 クマさんは巨体だからサイズが合わず一番似合わない。

 アナもロシオも横幅があるからピリッとしない。可笑しくて吹き出しそう。似合うのは砂漠の生活で鍛えられ、締まった身体のムラジグの男だけだ。

 比較的おとなしい種類という、ひとこぶラクダ・メハリに跨った。もう、笑っていられなくなった。

 「2m以上の高さだ!」「乗り心地が実に悪い」「ラクダの背の、木製の握り棒が手にマッチしない」

 しかし、そんな事は言っていられない。スタスタとラクダが歩き出してしまったのだ。

 必死でラクダにしがみ付く。ゆっくり歩いているから何とかなるが、これでラクダが走り出したら必ず振り落とされる。落とされても砂地だから別にケガはないだろうが…。

 風が出てきた。砂塵が舞い上がり、容赦なく口や目や鼻の穴を直撃する。

 周りには何もない事が判っていても、キョロキョロ周りを眺める。目を閉じると風の音しか聞こえないので、不安になる。

 僕の前にはクマさんがいる。そのクマさんがラクダからズルズルと落ちてきた。砂漠に尻餅をついた。ラクダにしっかりくくり付けてあった鞍が緩んだのだ。巨体のクマさんの重さにラクダが耐えられなくなったのか。いや、そんな事は無いだろう。

 ラクダが行く砂漠には道がない。これが僕ら都会人を猛烈に不安に陥れる。地平線の彼方まで砂、また砂。目標になるものが無いと、こんなに怖いものか。

 あの映画“アラビアのロレンス”で見た、人を飲み込む砂地獄が何処かでひっそりと人間を待っているかもしれない。ガラガラヘビもいるだろう。毒蠍もエサを探しているかもしれない。ラクダツアーは楽しさを通り越して「もう帰りたい」と思った。股を目一杯開いて乗っているので相当疲労する。

 凡そ2時間あまり、疲労困憊のラクダ騎乗ツアーだった。このツアーにはラクダにテントと食料を積み込み、砂漠で3泊するハードな旅もあるようだが、僕らは、もう充分…だ。

 ラクダを降りたあと、全員がしばらくの間、がに股歩きをしていた。

 でも、東京やセビージャに帰って、仲間たちからラクダに乗った気分を聞かれたら、きっとこう言うだろう。

 「う〜ん、気分よかったよ。ロレンス大佐のように、砂漠を駆け巡ったよ…。ひとこぶラクダのメハリは早いよ…」と。

ありがとう、チュニジア
そして旅の後記

 再びベンツ・ミニバスに乗り、映画“スター・ウォーズ”のロケ地として有名になった、ベルベル人が住む町、マトマタを見学。一面、泥と土を固めた穴居住宅の村である。

 道行く人も民族衣装に身を固め、顔の表情だけしか判らない。それも、男だけしか歩いていない。女は家の中にいるのだ。

 変な建物の前に立った。地面に月面のクレーターのようなドでかい穴が開き、その側面に横穴が掘られ、地下には、ベッドが置かれるくらいの横穴部屋がいくつもある。

 ここが、スター・ウォーズのロケが行われたホテル・シディ・ドリスだ。

 殺風景な食堂でクスクスを食った。味は言わないほうがいいだろう。

 ガベスを経由し、ガベス湾の後方に位置するジェルバ島を眺め、スファックス、エル・ジェム、スースの湾岸沿いをベンツ・ミニバスが通過する。車内は何時の間にか静まり返り寝息と鼾が交差している。

 ミニバスは高速道路から一般車道に入ったようだ。

 ミニバスが静かに停車した。ガイドのエディが車を降りて沿道の物売りに近づいて行った。

 彼は、湯気の立つようなパンを一抱えしながら車に戻った。

 「美味いよ! 俺たちからプレゼントだ!!」

 エディは、千切った手ごろなパンと手の平いっぱいのダットを僕らに分けてくれた。

 「美味しい。実においしい!」

 ダットの甘さとちょっぴり塩味の効いた温かいパンが絶妙に合う。

 そして、エディも運転手のミダマも、パンとダットを口に頬張った。美味そうに、ガツガツ食べる。

 時計を見たら午後8時ちょっと前。太陽が沈んだ時間。すなわち、ラマダンが終わった時間なのだ。

 僕は心から彼らに礼を言い、黙って食べた。

 食べながら涙が零れた。

 「ありがとう! チュニジア!」 

 心の中で、そう、叫んだ…。

<後記>
 セビージャに帰り、ミチェリンのチュニジアの地図を広げてみた。

 何と、緑の少ない国だこと!!

 大陸の殆どが、肌色のサハラ砂漠で塗りつぶされている!僕らはサハラ砂漠に行ったのだ。と、改めて実感した。

 クマさんこと、岡村詳彦さんは11月3日〜12日迄、銀座1丁目の“ぎゃらりい朋”で個展を開催した。チュニジアを題材にした“チュニジアの少女”が評判をよんだらしい…。

 アナとロシオが監修・デザインした“Un viaje de ensueno TUNEZ2006” 夢の旅へ…2006年と題した、立派な写真集を完成させた。

 これがなんと、僕らの為に、世界でたった1冊の写真集を製作してくれたのだ。

 プレゼントされた時、もう感激で声も出なかった。

 スペイン人のきめの細やかな心配りに、ただ、ただ嬉しくて、嬉しくて…。