内戦が勃発して間もなく、フェデリコはフランコ側に連れ去られて暗殺されました。前回お話ししたように、フェデリコは共和制政府の大臣であるフェルナンド・デ・ロス・リーオスの友人であり、政府の資金援助を受けて演劇活動をしていました。新聞等でもファシストを糾弾する発言をたびたびしています。詩人として、知識人として、スペイン語圏のみならず、その名は世界に知れ渡っていました。
フェデリコの死亡証明書が「正式」に登録されたのは1940年。内戦の最中、彼の死は秘密にされていました。逮捕されたらしい、殺されたらしいという噂だけが広まっていきます。暗殺の三ヵ月後、ロンドン・ペンクラブ会長H・G・ウェルズはグラナダ反乱軍当局に電報を打ち、ロルカの消息を訊ねています。返事は「消息は不明」でした。
フェデリコは確かに共和制支持者でした。だからと言って、それだけで暗殺されなければならなかったのでしょうか。親しい政治家はいました。でも政党に入っていたわけではありません。有名人、知識人でしたから、発言の影響力には確かに大きなものがありました。しかし、扇動家ではありません。
ロルカが同性愛者であることは、当時のグラナダではよく知られたことでした。「よく知られた」というのは、口さがない連中の噂話として、です。ゲイやレズビアンや性転換者がテレビに出演する現在とはまったく時代が異なります。友人のあいだで周知の事実だったことは前回お話したとおりです。
ロルカの処刑に携わった男が、こう証言しています。
「あのオカマ野郎のケツに二発お見舞いしてやった」
イラク戦争での米兵による捕虜虐待。犬のように首に鎖をつけて床を這いずり回せたり、ゴミのように人間ピラミッドを組ませたり、男色を強制したりといった、目を背けたくなる写真がマスコミに流通しましたが、もっとひどい性的虐待も行われており、日本では八月に劇団燐光群が数々の証言に基いて『私たちの戦争』というオムニバス劇で再現しました。ナチがユダヤ人を虐殺したのは有名ですが、同時に、ロマ(=ジプシー)や同性愛者も虐殺したことはあまり知られていないようです。ロルカの死の背後にも、とても下卑た嫌悪感、「俺たちとはちがう変なやつ」を忌避する思想があったことは、ほぼ間違いありません。
2004年10月1日、スペイン政府は同性間の結婚を認める法案を了承しました。EUで同性間の結婚を認めている国はオランダとベルギーしかなく、スペインは三番目。来年施行される予定です。
ロルカの死は英雄的な死とはおよそかけ離れた、残酷でみじめったらしい死でした。ある講演でロルカが死について語った言葉を、この連載の締めくくりといたします。
「あらゆる国で死は終わりを意味します。死が訪れるとカーテンは閉ざされる。スペインは違います。スペインではカーテンが開かれるのです」
「ロルカ、その生涯」は今回で終了させていただきます。長い間、ご愛読ありがとうございました。
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