Vol.32 ドローレス      古屋雄一郎


 詩にせよ戯曲にせよロルカの作品には民謡や子守唄、ロマンセなど、民衆がふだんの暮らしで口ずさむ歌が数多く登場します。ロルカの生活にこうした歌が溢れていた証拠ですが、多感な少年期に歌を浴びるほど聴かせてくれたのが女中のドローレスでした。

 フエンテ・バケーロスに生まれたロルカは八歳ごろ近くのアスケローサ村に移り、一時期アルメリーアの私塾に寄宿生として過ごします。中等学校の受験の勉強をするためで、面倒をみてくれたのは教師だった母ビセンタのかつての同僚アントニオ・ロドリゲスでした。1909年、十歳の夏にロルカは初めてグラナダ市内に住みます。家は中心街のど真ん中といっていいダーロ通り66番地にありました。およそ九年間住むことになるその家はとても広く、柱が並んだ中庭つきの三階建ての家でした。

 ロルカにとってグラナダの思い出がいちばん詰まっているこの家に、ドローレスという女中がいました。フエンテ・バロース時代に弟のフランシスコの乳母をしていた人で、夫を亡くした直後に産まれた子どもも喪い、以来ロルカの家族の一員としてなにくれと面倒をみました。服装はいつも黒、でもとにかく明るい性格で、困っている人をみると助けずにはいられない、きびきび動いておしゃべり好き、感情を素直に表現する人でした。生まれ故郷のラーチャルでは「コロリン」の呼び名で通っていました。派手な、とか、けばけばしい、という意味です。ロルカの芝居に出て来る女中はたいてい実在の人をモデルにしていますが、『老嬢ドニャ・ロシータ』の女中はまさにドローレスその人です。敬虔なキリスト教徒なら顔をしかめそうな下世話な話、性的な話題も好み、『イェルマ』に登場する「不信心な老婆」はドローレスのそうした性格を強調して創り上げた人物のようです。

 十代初め、思春期真っ只中のロルカは女中たちによく悪戯をしました。中でも変装が大のお気に入りで、名女優マリーア・ゲレーロの芝居がグラナダで上演されたときなど、ドローレスの顔に米の粉を塗り、東洋風のぼろを着せ、挙句の果てには骨が折れた傘を持たせてこう言ったのです。

 「こんな恰好じゃ劇場には行ってこられないよねえ?」
 
 ドローレスはもちろん出かけました。どう見ても狂人としか思えない恰好で。セルバンテス劇場の入口に行き、行ってきた証拠として、芝居があるときだけ道端で営業している売店でピーナッツを一袋買って帰りました。町でいちばん賑やかで人通りが多い場所でした。警察に通報されていても不思議ではありませんでした。
 
 歌だけでなく、なぞなぞや早口言葉、それもちょっと卑猥なものをフェデリコやフランシスコはドローレスに教わって育ちました。


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