| 右上の写真をご覧下さい。この連載ですっかりお馴染み、ロルカのポートレートです。肖像写真はたくさん残っていますが、なかでもこれは本や雑誌、公演パンフレットなどで好んで使われる一枚、どこかで一度は目にしたことがあると思います。あらためてじっくり眺めてみましょう。どんな印象を受けるでしょうか。
肘掛があるであろう椅子に斜めに座っています。左手で顎と頬を支え、上目づかいのいわゆるカメラ目線。ずいぶん気取って見えないでしょうか。肖像画ですから、ポーズをとるのは当然としても、「かっこつけてるなあ」という感じがします。
背景に較べて頭部が巨大な構図から察しがつくと思いますが、これはオリジナルの中央部分、実際は上下左右にさらに三倍くらいの広がりがあり、下半身はもちろん、背景のカーテンや床の一部も写っています。三つボタンのスーツは真ん中のボタンだけをとめ、足は左足を上にして組み、腿に右手を乗せている。つまり、「いかにもポートレートにふさわしいポーズ」をとっているのです。
1919年頃、ロヘリオ・ロブレス・ロメロ=サアベドラという人がグラナダで撮影しました。二十歳ぐらいの計算になります。同時に撮ったとおぼしき写真がもう一枚あり、そこでのロルカは左手に中折れ帽子を提げ、腕組みをして立っています。体全体の向きは上の写真と同じ。口元にかすかな笑みを浮かべ、上目づかいのカメラ目線。やはり「いかにも」なポーズなのです。
「いかにも」なポーズを平気でとってしまう、あるいは、とれてしまう。これはロルカが「イメージとは何か」を肌で知っていることの証拠であり、写真が市民の暮らしに深く浸透しているあかしです。折りしもヨーロッパでは写真芸術に革命的な変化が起きていました。1919年はドイツに美術工芸学校バウスウスが開校した年。ハンガリー生まれのラズロ・モホリ=ナジの〈フォトグラム〉が生まれたのもこの頃です。〈フォトグラム〉とは、カメラを使わず印画紙の上に直接物体を置いて露光する写真。光を自由に当てることで無限の陰翳が生まれます。カメラで風景や人を撮影するという現在の一般的な撮影法は、1920年前後すでに「古いもの」だったのです。
ロルカが撮影した写真というものが存在するのかどうか、少なくとも公開はされていないので何とも言えませんが、ひょっとすると後のダリのように新しい芸術を生んだかも知れないと思わせる証拠があります。ある物語を複数の写真で見せる、いわば〈写真劇〉がそれです。
タイトルは「財宝物語」。アラブの一国で財宝を狙う一味が管理人を強請り、殺してしまうという話です。一味を演じるのは友人マヌエル・アンヘレス・オルティスとミゲル・ピサロとアンヘル・バリオス。管理人役はロルカ。全員アラブ風の衣裳でターバンを巻いています。撮影は1918年、グラナダのどこかの家のパティオらしき場所です。現存するのは六枚、一味が土下座、管理人のロルカはつんとすました顔で聞く耳持たぬ風情。四人の乱闘。白壁に押しつけられナイフで腹を刺される管理人。最後の写真は死んで横たわった管理人のまわりに一味が腰を下ろしています。
のちに映画シナリオ『月世界旅行』を書くロルカが遺した、おそらく唯一の映像作品です
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