Vol.3 バルセロナにあるもの・ないもの
文 藤原可奈子

 バルセロナには日系の本屋がありません。どんなに読みたい本や雑誌、マンガがあって も、通信販売で手に入れるか家族や友人に送ってもらうかしなければ、絶対に入手できません。

 最近は、「日本食レストラン」も流行っていてバルセロナだけで30軒くらいありますが、オーナーやキッチン・スタッフが日本人ではないところもたくさん。そういうところでは、7〜8年前の日本の雑誌がフツーにおいてあったりします。

 5月に一時帰国したときに、同じく外国での駐在が長いイギリス人紳士と話をする機会がありました。そのとき、「バルセロナの日本人妻のあいだでは、女性週刊誌が通貨代わりなんですよ」という話になりました。子供を預かってもらったり、なにか頼みごとをしたりするときに、「お礼に最新の週刊誌を貸してあげるから〜」などとお願いするわけです。

 すると、その紳士はすかさず、「ああ、囚人のタバコといっしょだね」とコメントしたのでした。言った後で、さすがに<しまった!>と思ったらしく、「あ、ごめん」と謝っていましたが…。

 逆にバルセロナにあるものは、メイドさんやベビーシッターさん。イギリスと同じく、スペインはまだまだ階級社会で、中卒と大学院卒が多く、高卒などの中間層が少ないようです。知的専門職就業者と単純労働就業者にきっかりと分かれ、日本のように「大学を卒業してフリーター」のようなケースはほとんど見られません。

 スペイン女性の地位や就労率は日本よりもずっと高いのですが、これはひとえに既婚や子持ちの女性が安心して働ける環境が整っているからではないかと思われます。もともと大家族が多く、なおかつ家族の絆が強いスペインのこと。子供が生まれればおじいちゃん・おばあちゃんやおじ・おばが見てくれることがよくあります。加えて、保育園が多く、0歳から預かってくれるし、子供は普通3歳で幼稚園に上がるしで、小さい子供がいる女性も仕事を続けやすいのです。

 メイドさん、ベビーシッターさんの時給は、現在バルセロナで7〜9ユーロくらいでしょうか?単純計算すると、大卒のOLさんよりも高給取り。そのうえ、一般の家庭で働くひとは税金を払わない場合も多く、ますます手取りは勤め人より多くなります。それでも、「スペイン人のメイドさん」は年々減る一方。若いひとには人気のない職業なので、現在残っているスペイン人のメイドさんは中高年がほとんど。その分、外国からの出稼ぎ労働者に取って代わられています。特に中南米出身のひとびとは、スペイン語を話すためことばの壁もなく、需要と供給がうまくマッチしているようです。

 バルセロナに住んで5年半が経ちますが、パッと見ではスペイン人か外国人か見分けがつかないひともたくさんいます。カタルーニャ人のなかには、金髪・青目や赤毛・緑目の、肌の白いひとも多いのです。でも、着ている服を見れば一目瞭然。同じTシャツにジーンズのスタイルでも、スペイン人のジーンズには、アイロンでつけた線が1本、ビシーッと通っているからです。もちろん、Tシャツにもきちんとアイロンがかかっています。

 さてさて、他にあるものと言えば、「人情」。友人は道を歩いていて転んでしまったのですが、「アイタ!」と思った次の瞬間には両側から救いの手が差し伸べられ、気がついたら体が宙に浮いていたそうです。

 先日、私も同じような場面を目撃しました。夕方、幼稚園に通う娘のスクール・バスの時間に家の前を歩いていると、突然目の前で若い男性が顔から倒れてしまいました。メガネは投げ出され、レンズにはひびが入り、ツルは飴細工のようにぐにゃぐにゃに折れ曲がってしまっていました。意識をなくしてしまった様子。額と鼻の付け根を擦りむき傷からうっすらと血が流れていました。

 なにせ娘の迎えがあるので、「どうしてもお世話できません。ごめんなさい」と周りのひとに言い訳をしてその場を離れたのですが、すぐに10人近くのひとが寄ってきて介護を始めました。娘を迎えた帰りに、冷たい水とマフィンを買って近くにいたひとに渡しました。様子が分かるまでは食べさせない方がいいと言われましたが、水はすぐに彼に手渡され、10人くらいのひとびとが辛抱強く救急車を待っていました。

 スペインの全てが好きというわけではないけれど、スペイン人はいざというとき頼りになります。いつか私が道で倒れたとしても、すぐに誰かが駆け寄ってくれて、きっと助けてもらえるだろうと確信できます。


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Kanako Fujiwara
 1965年広島県福山市生まれ。高知女子大学英文科卒。英会話学校の講師等を経、90年に渡米。91年に結婚。国連代表部、日系銀行等に勤務の傍ら、フリーランス・ライター、翻訳業に従事。97年に女児出産後、7年間のマンハッタン生活を終え、夫の故郷バルセロナにリロケートする。2000年より2001年までAmerican School of Barcelonaにて勤務。現在はフリーランスの実務翻訳家兼日系企業にて勤務。NYと日本の雑誌にて連載経験あり。英語と日本語でエッセイを執筆。スペイン語はまだまだ。「最近やっとスペイン語で夢を見るようになりました」