ゴヤ
〜争いの惨禍〜



 スペインが生んだ最も偉大な巨匠の一人であるゴヤは、その生涯で2000点に及ぶ作品を残した。その数多くの作品をたどると、まるでこれが一人の人間の絵筆で生み出されたものだとはにわかに信じがたいほどのバリエーションの豊かさに驚かされる。彼がマドリッドにやってきたばかりのころ描いたタピストリーの下絵の明るい雰囲気と「黒い絵」シリーズのタッチはまるで別人のそれのように見受けられる。
 
 プラド美術館の膨大なコレクションの中でも大きな位置をしめるゴヤの作品群。その中から、今回はスペイン史の中の大きな事件を描いた「1808年5月2日」と「1808年5月3日」の連作を取り上げたい。
 
 ゴヤの生きた時代、スペインは国際的な緊張関係の只中にいた。特に18世紀末、隣国のフランスで市民革命が勃発すると、その影響はスペインにも及び、ナポレオン軍の侵略を受けることとなる。そして、ナポレオンの破竹の勢いに恐れをなしたスペイン王家は彼に王位を譲渡、ナポレオンの兄がスペイン王座に就く。そんなふがいない王室の動きに対し、郷を煮やしたマドリッドの民衆が蜂起、対ナポレオン独立戦争がはじまる。

 「1808年5月2日」は祖国のために立ち向かう勇敢なマドリッド市民を描きながらも、戦争の無常さ、悲惨さを謳いあげている。騎馬隊の馬に踏みつけにされる市民、目をむいてナイフを振りかざす馬上の兵隊。ゴヤは、絵筆を通じて市民たちの勇敢さをたたえるとともに、人間同士の争いの愚かさを強烈に訴えてかけている。この作品は後に世界の美術史上最高の反戦画といわれるピカソの「ゲルニカ」のモチーフとして利用されたといわれる。戦争の残酷さをえぐりだすゴヤの冷徹なまでの観察眼と描写力は、このあと「戦争の惨禍」という版画の連作にも受け継がれてゆくものとなる。

 そしてもう一つの「1808年5月3日」では、前日の武装蜂起の参加者たちが処刑されるシーンを描き出している。これはマドリッド市の西、現在は大学都市となっているモンクロア地区で行われたものだという。暗い背景には王宮が浮び上がり、白い服を着た一人の男が両手を大きく広げ、いままさに処刑隊の銃弾を受ける、という緊迫した瞬間をキャンバスにとどめている。祖国の独立の為に死にゆく姿は、人類全体の罪の為に自ら犠牲となったイエス・キリストの姿と重ね合わせえることができる。実際、両手を大きく広げたこのポーズは十字架上のキリストをモデルにしたものだといわれている。

プラド美術館所蔵
5月2日
「1808年5月2日」
5月3日
「1808年5月3日」
ゴヤ
Francisco de Goya y Lucientes
<1746〜1828>アラゴン地方の寒村に生まれ、サラゴサで修行後、イタリアへ留学してフラスコ画を学ぶ。王室用タペストリーの原画制作に携わった後、宮廷画家として活躍。後半生は、フランス革命後のスペイン混乱期の人々の苦悩と希望を描き続けた。

 それまでの戦争画はともすると英雄賛美の絵となりがちだったが、ゴヤは名もなき民衆を主役として、戦争の残酷さを余すことなく伝えることで新しい境地を開いたと言える。彼の時代から200年余りが流れても、地球上からは戦火が絶えることはない。ゴヤの作品は、世紀を超えていまもなお戦争の空しさと残酷さを私たちに語りかけてくる。


Chieko Maruyama
 1976年生まれ、東京都出身。新聞社勤務。スペイン美術にひかれ、上智大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。在学中にマドリード、コンプルテンセ大学に1年間留学。留学中は、スペインはもとより、ヨーロッパ中の美術館を精力的に訪問。特にお気に入りの画家はエル・グレコ、ピカソなど。

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