ベラスケス
「十字架上のキリスト」〜赦しの姿〜



 ヨーロッパの絵のジャンルとして、大きな位置をしめているものとしては宗教画がある。中世以前は、絵といえば宗教画であり、人々の信仰心を更に強くする為のツールとして利用されていた。

 その後も、キリスト教世界、特にカトリック信仰が深く根付いていたスペインでは特に、多くの宗教画が描かれてきた。しかし、日本人にはあまり好まれないというのも事実だ。

 モチーフになっているストーリーが日本人にとってはなじみがない、というのも理由のひとつだろう。また、宗教画は押し付けがましいというか、発するメッセージが饒舌すぎてこちらに解釈の余地を与えないところがある。
実際、私自身もヨーロッパでいくつか美術館を巡ると宗教画のあまりの多さに閉口したりもする。

 しかし、今回紹介する一枚は宗教画ではありながらも私の大好きな作品だ。ベラスケスの「十字架上のキリスト」がそれだ。

 初めてマドリッドのプラド美術館に足を踏み入れたとき、今まで何度も写真で見てきた数々の名画を実際に目の当たりにし、感動の連続でぼうっとなっていた私の目に飛び込んできて足を止めさせたのがこの作品だった。

 暗いバックに浮び上がる十字架に貼り付けになっているイエス・キリスト。人類の罪の為に死にゆこうとするその姿はあくまでも静かで美しい。

 十字架上のキリストを題材にしてきた作品は今まで数限りなく見てきたが、これほどまでにシンプルでありながらも胸に迫ってくるものを見たことはなかった。

 何の誇張もなく、他の登場人物もおらず、キリストの顔はただうつむいていて過剰な苦しみが表現されているわけでもない。しかし、その苦悩と悲しみがひしひしと押し寄せてくる。そこには一枚の絵ではなく、キリストその人がいるかのような錯覚にとらわれたまま、私は足を動かすことが出来なかった。

 ベラスケスは17世紀王室画家として多くの傑作を残した、スペインが生んだ最も偉大な巨匠のひとりである。その作品のジャンルは肖像画からギリシャ神話、風景画と多岐にわたっている。

 ベラスケスの作品を見て思うのは、瞬間の捉え方の巧みさである。かの名画「官女たち」(Las Meninas)も日常の中のドラマチックな一瞬を切り取ったものである。そこには余計なものもなければ、足りないものもない。
 その傾向は王宮装飾用の美術品の購入という使命を果たす為に訪れたイタリアでの約一年にわたる滞在によって更に強くなった。そのころイタリアでは光と影の劇的な効果を狙ったテネブリスムという手法が流行しており、ベラスケスもこれに大きな影響を受けたといわれる。

 「十字架上のキリスト」はこのイタリア滞在の直後に描かれたものである。暗い闇の中、そこだけ光があたったかのようにくっきりと浮び上がるキリストの肢体には、テネブリズモの十分な効果がはっきりと見て取れる。また、うつむくキリストの表情の押さえた表現は誇張や装飾といったものを嫌うベラスケス自身の品格をよく表している。

 「十字架上のキリスト」は余分なものを一切排除した静謐な美しさがある。それは単なる宗教画というジャンルを超えた「赦し」のメッセージを伝えているからではないだろうか。何かに迷ったとき、苦しみに直面したとき、そんなときに、あのキリストの悲しくもただ美しい姿を思い浮かべてみてはどうだろうか。

プラド美術館所蔵
ベラスケス Diego Velazques
<1599〜1660> 17世紀スペインを代表する画家。 セビージャ生まれ。1617年、職業画家として独立、23年からはフェリペ4世の主席宮廷画家として王宮内で暮らし、作品もほとんどが門外不出という変則的な生涯を送った。代表作に「東方三博士の礼拝」「セビーリャの水売り」「ラス・メニーナス」など。