見てきたようなウソをつき por 微笑問題
ars gratis ars
   古屋雄一郎
Vol.55
ピラール・ロペス

A : 21世紀になってそろそろ十年が経つけど、20世紀を代表する人たちが次々に亡くなるね。先日もスペイン舞踊の歴史に欠かせない人が亡くなりました。
B : ああ、ジェニファー・ロペスな。
A :

ピラール・ロペスだ!ジェニファー・ロペスは死んでないし、そもそもスペイン舞踊と無関係だろ!しかし、おまえ「ガルシアとロドリゲス」の時もジェニファー・ロペスでボケたよな。どれだけ好き なんだよ?

B : どんだけぇ〜。
A : 人のフレーズをパクるな!しかも流行ったの去年だろ。ピラール・ロペスはスペイン舞踊の舞踊家で振付家。1912年にサン・セバスティアンで生まれて、今年の3月25日早朝、マドリード市内の病院で亡くなった。95歳だった。1920年代から30年代にかけて華々しくデビュー、一世を風靡した。
B : 柳葉敏郎と哀川翔がメンバーだったんだよな。
A :

それは「一世風靡セピア」だろって、つっこむ自分が情けないよ!ピラール・ロペスにはお姉さんがいて、本名エンカルナシオン・ロペス・フルベス、芸名ラ・アルヘンティニータ。お姉さんの方が有名だね。姉妹ともども、ロルカや闘牛士イグナシオ・サンチェス・メヒーアスなど、いわゆる〈27年世代〉の文学者や芸術家と親しかった。

B : 顔がそっくりで見分けがつかないけど、左の頬にホクロがある方が妹だから、ここだけの話。
A : それはマナカナだろ!ピラール・ロペスとラ・アルヘンティニータは双子じゃねえよ!ピラール・ロペスが有名になったのは「アランフェス交響曲」。ホアキン・ロドリーゴの、あの有名な曲だね。1952年にバレンシアのプリンシパル劇場で初演、これが大評判になり、パリでも公演をした。でも、われわれ日本人にとって重要なのは1960年の来日公演。
B : ああ、あの舞台は素晴らしかったよ。思い出すなあ…。
A :

おまえはまだ生まれてないだろ!勝手に思い出を作るな!1960年5月、ピラール・ロペス舞踊団が当時のサンケイホールで公演をした。スターダンサーは、若きアントニオ・ガデス。

B :

ガデスも亡くなったな。

A :

もう四年になるね。ピラール・ロペスは「アントニオ・ガデスを育てた人」として有名になったけど、この来日公演は日本人にとって衝撃的だったんだ。小松原庸子さんや小島章司さんはこの舞台を観てフラメンコの道を極めようと決意、スペインに渡ったんだから。小島さんはアントニオ・ガデスとナナ・ロルカが踊ったアストゥリアスを今でも覚えているんだって。

B : じゃあ、ピラール・ロペスが来日しなかったら日本におけるスペイン舞踊の歴史は違ってい たかもしれないってことか。
A :

かもね。日本は今や「フラメンコの第二の故郷」と呼ばれてるけど、そのきっかけを作った人がピラール・ロペスだった。

B : つまりピラール・ロペスは「日本フラメンコ界の父」ってわけだね。
A : 「母」にしてやれよ、女なんだから!