見てきたようなウソをつき por 微笑問題
ars gratis ars
   古屋雄一郎
Vol.50
カフェ・カンタンテ

A : フラメンコの歴史を調べるとカフェ・カンタンテが必ず出てくるね。
B : よく知らないけど、カフェってのは喫茶店だな。
A :

確かにカフェはコーヒーとか喫茶店のことだけど、実際は居酒屋兼喫茶店みたいなものじゃないの。

B : で、“カンタンテ”は歌手だから、つまり歌声喫茶だね。
A : 解釈に無理があるよ!歌声喫茶は昭和30年代に流行した日本の喫茶店だろ!カフェ・カンタンテはフラメンコの歌と踊りがメインの居酒屋だよ。それまではジプシーが自分の住居で仲間内だけで歌ったり踊ったりしていたんだけど、1842年にセビーリャのトリアーナ地区にカフェ・カンタンテ第一号店ができて、フラメンコがショーになった。
B : シルベリオっていう人が有名だな。
A : そうそう、シルベリオ・フランコネッティっていうイタリア人ね。ジプシーじゃないんだけどカンテがものすごく上手くて、紛れもないカンテ・ヒターノを歌ったらしい。セビーリャにカフェ・カンタンテを開いて大人気になった。濱田滋郎先生の『フラメンコの歴史』によると、シルベリオの歌に心酔したカンタオール、フェルナンド・エル・デ・トリアーナはこう言った。「これらすべての歌が、偉大なシルベリオの、蜜に満たされ、ファラオ(エジプト王)の器量を恵まれた喉から出てくるとき、聴いていて身ぶるいしない者はなかった。そして、百人中九十九人までが、目に涙を浮かべるのだった」。
B : すごいな。
A : 「“フィージョ風”のしわがれた声、そのくせアルカリア(中部スペイン高原の一地方)の蜜のように甘い声を持った偉大なシルベリオとは、それほどの人だった…」。
B : そりゃ第一回レコード大賞も受賞するよな。
A : してねえよ!カフェ・カンタンテっていうぐらいだから、メインはカンテ(歌)だった。その証拠に、ギャラがいちばん高かったのはカンタオールで、その次がギタリスト、いちばん安かったのはバイラオールだったんだ。
B :

カフェ・アンダンテっていうのもあったらしいね。

A : なんだよ、それ。
B : まあ、アンダンテっていうくらいだから、「歩く速さ」で演奏したんじゃないの。アレグロとアダージョの中間くらいで。
A : イタリア語の音楽用語だろ、アンダンテは!
B : こうしてフラメンコが持ち歩きできるようになった。ま、スターバックスやタリーズとかのシアトル系カフェの元祖だね。
A : なんだよ持ち歩きって!意味がみえないよ!
B :

カフェ・カンタービレっていうのも流行って、これは音楽家を目指す千秋とのだめがスペインに留学して…。

A : うるさいよ!『のだめカンタービレ』だろ!話を戻すと、19世紀後半はカフェ・カンタンテが大流行した。発祥の地セビーリャはもちろん、アンダルシアにカフェ・カンタンテがない町はないと言われたくらいで、マドリードやバルセロナ、さらに遠くビルバオにまでできた。フラメンコが全国的に人気を博すきっかけになったわけだけど、「これは邪道じゃないか」って声も当時からあったんだ。ショーとしての側面が大きくなって、本来の渋くて深いカンテ・ヒターノの質が落ちてきた、もうカンテ・ヒターノではなくこれじゃフラメンコだって嘆いた人もいた。「フラメンコ」を否定的なニュアンスの言葉として使ってるところが興味深いね。
B : 中には紅白歌合戦の小林幸子みたいなド派手な衣裳を着たバイラオーラもいたらしいね。
A : 勝手に歴史を捏造するな!まあ、なんだかんだ言って、カフェ・カンタンテのおかげでカンテやトーケ(ギター)が芸術として育ったのは確かなようだね。
B : 名歌手も続々と生まれたんだよな。
A : “カンテの皇帝”と呼ばれたアントニオ・チャコンとかね。
B : 下積みが長くて、最初は売れなくて改名に改名を重ねて、やっと「五木ひろし」で売れたんだよな。
A : うるさいよ!