| A : |
今回のテーマはスペインの古典小説『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』。ピカレスク小説というジャンルを生んだ作品だ。十六世紀半ばに誕生して、フランスやドイツなどヨーロッパ中で大流行した。日本では“悪者小説”と呼ばれてる。 |
| B : |
いいねえ。“悪者小説”ってくらいだから、主人公はそうとうワルなんだろうな。 |
| A : |
ワルっていうより、悪知恵に長けた男なんだけどね。 |
| B : |
学生服のボタンなんか上から三つくらい外しちゃって、頭はリーゼントで。 |
| A : |
田舎の不良かよ! |
| B : |
「俺はワルだぜ」なんて煙草吹かして、"You know I'm bad, I'm bad!" なんて歌っちゃって。 |
| A : |
マイケル・ジャクソンの「バッド」かよ! ピカレスクっていうのは“ピカロ”が主人公っていう意味なんだけど、じゃあ“ピカロ”は何かというと、「ならず者」とか「悪党」とか「狡知に長けた人」だ。要するに、ずるがしこい奴だね。 |
| B : |
お前みたいな奴ってことだな。 |
| A : |
なんでだよ! 人聞きの悪いこと言うなよ! |
| B : |
知らないと思ったら大間違いだぞ。お前、東日本大震災の被災地に夜な夜な出向いては放置された金庫やATMの金を盗んでるらしいな。 |
| A : |
するわけないだろ、そんなこと! |
| B : |
でも新聞に記事が載ってたぞ。 |
| A : |
新聞? どの新聞? |
| B : |
東京スポーツ。 |
| A : |
“日付以外ぜんぶ誤報”の東スポかよ! 信憑性ゼロだろ! ピカレスク小説の第一号は岩波文庫にも入ってる『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』だ。ただし作者が誰なのかは不明でね。いつごろ書かれたのかもよくわかってなくて、現存する最古の版は1554年にスペインのアルカラ・デ・エナーレスとブルゴス、そしてアントワープで出版されたバージョンだ。 |
| B : |
昔の本って作者不明のものが多いよな。 |
| A : |
確かにね。岩波文庫の表紙に作品の紹介が載ってるから引用してみようか。「少年ラーサロが、悪知恵にたけた盲人や欲深坊主、貧乏なくせに気位は高い従士やいんちき免罪符売りと、次々に主人をわたり歩いてなめるさんざんな苦労の数々。16世紀当時のスペインの社会や下層民の生活が風刺鋭く、簡潔な描写で赤裸裸に写しだされてゆく。ピカレスク小説をヨーロッパに流行させるさきがけとなった傑作」。 |
| B : |
主人公の名前はラーサロっていうのか。 |
| A : |
そう。題名の“ラサリーリョ”はラーサロに親愛の情を表す縮小辞(-illo)をつけた呼び名だ。ラサリーリョは社会の最下層民でね。生きていくためには誰かに奉公するしかない。さらに悪知恵をはたらかないと出世できない。まず最初に仕えたのは盲人で、盲人の手引きになるんだけど、こいつが抜け目のない男でね。 |
| B : |
盲人なのに“抜け目がない”ってところが笑えるな。 |
| A : |
こまかい突っ込みはいいよ! で、この盲人は食事のときにワインを入れた壺を足下に置いて離さない。ラサリーリョはワインが飲みたくて、壺をこっそり引き寄せてちびちび飲むんだけど、量が減るからすぐバレてしまう。そこでライ麦の茎をストローにしてチューチュー吸う。ところが盲人はこの手口にもすぐ感づいて、壺を両脚で挟んで、片手で蓋をしてしまう。 |
| B : |
ケチだなあ。まるでお前だな。 |
| A : |
うるさいよ! なにしろ盲人だから、眼が見えないと思ってどこの誰に悪さされるか知れたもんじゃない。だから猜疑心が強いんだね。でもラサリーリョは諦めない。今度は壺の底に小さな穴を開けて、そこを蝋でふさぐ。そして暖をとるために焚き火をたく。すると火の熱で蝋が溶けて、ワインがチョロチョロ流れ出るのをぜんぶ飲んでしまう。 |
| B : |
こうなると知恵くらべだな。 |
| A : |
まさにそうなんだ。“悪者”というより“くせ者”とか“策士”って感じだね。小説はこんなエピソードばかりで、最後にラサリーリョは市の触れ役の職につくんだ。触れ役っていうのは、「今度どこそこでワインを売りますよ」とか、「これこれの品を競売にかけますよ」とか、市中引き回しの罪人に随行して罪状を大声で町の人に知らたりする、要するに役所の宣伝係、町中を歩いて触れ回る役人だ。 |
| B : |
今でいう公務員だな。 |
| A : |
うん。でも触れ役ってのは、役人といえば聞こえはいいけど、ほんの木っ端役人なんだよね。にもかかわらず、ラサリーリョは「こうして私は幸運の絶頂に達したのでございます」と述べて小説は終わるんだ。 |
| B : |
本心なのかな? |
| A : |
そこだよね、ポイントは。皮肉をこめてるんだよ。この小説は形式もユニークでね。役人になったラサリーリョが自分の来歴を振り返り、現在の庇護者である知人に向けて自分の半生を書いてご覧に入れるというスタイルなんだ。最下層民の暮らしの様子がとってもリアルに描かれる。徹底的なリアリズムだ。 |
| B : |
……こうして私どもは漫才師として幸運の絶頂に達したのでございます。 |
| A : |
皮肉かよ! |