見てきたようなウソをつき por 微笑問題
ars gratis ars
   古屋雄一郎

Vol.109
天正少年使節


A : 江戸時代に支倉常長の使節団がスペインを訪問した話をVol.43「ハポンさん」で取りあげたけど、実はその前にもスペインに行った使節団があるんだよ。しかもメンバーは四人の少年だった。
B :

当時はすごい人気だったらしいな。

A : そうなの?まあ、キリシタン、つまりキリスト教徒として、はるばる海を越えたわけだから、カトリック国スペインでは大歓迎を受けたそうだけど。
B :

リーダーはそのあと事務所を設立して、フォーリーブスからSMAPまでアイドルを次から次へと生み出して。

A :

リーダーってジャニー喜多川かよ!少年使節ったってアイドルグループじゃねえよ!天正10年、西暦だと1582年だから16世紀末、日本は戦国時代の真っ只中だった。

B :

戦国時代といえば、「たかじん胸いっぱい」でテレビに復帰した北野誠とバーニング社長の戦国時代は決着ついたのかな…。

A :

それ以上言うな!お前、本当に殺されるぞ!1582年2月20日(天正10年1月28日)、長崎から船でポルトガルに向かったキリシタン少年四人の名前は、伊藤マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティーノ。この時代の元号にちなんで天正少年使節と呼ばれる。

B :

マンショだのミゲルだの、とても日本人とは思えない名前だな。

A :

しょうがないだろ、洗礼名なんだから。

B : 船室を調べたら、柴咲コウ、宇多田ヒカル、瀬戸カトリーヌもこっそり紛れ込んでいたらしい。
A : 紛れ込んでねえよ!単に「名字が漢字で名前がカタカナ」ってだけだろ、共通点は!しかも全員女だし。
B :

少年使節なだけに少年隊≠燗ッ行する予定だったけど、どうしても森光子さんのそばを離れられず、泣く泣く断念したって、歴史の時間に習ったよ。

A :

どこの学校だよ、そんなウソ教えるのは!四人は敬虔なクリスチャンで、彼らを教育したのはマカオから派遣されたイタリア人のイエズス会巡察師ヴァリニャーノだ。ヴァリニャーノは日本が西洋に勝とも劣らない文明国だと力説した人でね。立派なクリスチャンになった少年たちをマドリードとローマに派遣しようと思い立った。

B : しかし、信長や秀吉の時代だろ?戦国時代になんでそんなことを企画したのかね。
A :

ちょうどカトリックとプロテスタントが覇権争いをしていた時期だった。ルターが宗教改革を打ち出して、それを脅威に感じたカトリックが対抗宗教改革(反宗教改革)の大キャンペーンを繰り広げた、その絶頂期が1570年頃なんだ。ヴァリニャーノ巡察師がローマから東アジアに向かったのが1573年。そこでヴァリニャーノは考えた。アジアの東の果てにある日本列島からクリスチャンの少年がはるばるローマにやって来るとなれば、カトリックにとってビッグニュースだし、結束を高めるのにもってこいだ、と。

B : この話を映画化したのが『二代目はクリスチャン』。
A : それは志穂美悦子主演のヤクザ映画だろ!全く関係ないよ。四人の少年がマドリードに着いたのは1584年10月20日。なんと二年半以上もかかったんだから気の遠くなる話だよね。しかもその前に立ち寄ったトレドでは千々石ミゲルが天然痘に罹って、療養のため16日間も足止めを食らったんだ。
B : ミゲルは回復したけど、病み上がりで、時々わけのわからないことを口走ったらしい。
A : へえ。初耳だな。
B : これが日本人初の天然ボケ≠セった。
A :

お前、それが言いたかっただけだろ!マドリードでは王宮でフェリペ二世に謁見した。四人は刀に脇差し、足袋、草鞋、袴という恰好で、フェリペ二世は彼らの出で立ちに興味津々。刀の鞘の細工を詳しく見たり、袴の腰板の部分が硬いのか柔らかいのか知りたくて、中に手を入れて触ったんだって。

B : ボーイズラブ、いわゆるやおい≠セな。
A :

ちがうよ!

B : でも、そこはジャニーズ事務所、無駄な抵抗はせず受け入れました。
A :

勝手な想像を膨らませるな!彼らの数奇な運命については若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ(上・下)』(集英社文庫)に詳しいよ。大佛次郎賞を受賞した名著だ。

B : キリシタンなのに大仏(佛)≠チてところがいかにも日本的でいいな。
A :

オサラギって読むんだよ!