渡西前は、日本で何をされていましたか?
89年に長崎市にある民放FM局“エフエム長崎”(現“スマイル・エフエム”)放送部に入社。約4年間さまざまな音楽・情報番組のディレクター&パーソナリティ、また定時前のニュースのアナウンサーなどを兼任しました。
後に出身地である松山市に戻り、93年から“日本放送協会(NHK)松山放送局”アナウンス部にフリーランスとして入局。四国向けのFM番組「夕やけジョッキー」のディレクター&パーソナリティ、ラジオ第一放送のニュースのアナウンサーなどを2年間務めました。
スペインへはいつ、どういうきっかけで来られましたか?
95年7月から滞在しています。私がスペインに惹かれたきっかけは、高校生の頃、目にした幻想的なテレビコマーシャルにあります。浜辺に築かれた砂の城が波に顕れてゆくシーンで、高中正義の曲のBGMがうまくマッチしていました。砂で造られた建物は、後になって城ではなくスペインのバルセロナに実在する教会であることが分かりました。教会の名は“サグラダ・ファミリア”。そしてそれを設計したのはアントニ・ガウディという人物だということを知ったのです。
それからかなりの月日が流れ、私はFM長崎のアナウンサーになっていました。多忙な放送局で奇跡的に2週間の休暇が取れることになり、私は迷わずバルセロナ行きを決めました。そしてガウディの作品群と対面したのです。天空にそびえる8本の塔、キリスト誕生の門の石の彫刻はあまりにも緻密で今にも動きだしそう…。私は2週間の足らずのバルセロナ滞在中に何度もこの“サグラダ・ファミリア”に足を運びました。そしてバルセロナを離れる際、後ろ髪を引かれながらも改めて決意しました。“絶対ここに戻ってくる!”と…。
95年3月末、私は勤めていたNKH松山放送局を辞めました。仕事は刺激的で大好きでしたが、“スペインへの情熱”は萎えるどころかますます高ぶりをみせていたからです。尊敬する先輩アナウンサーに「情熱があるうちに行くしかない!」とそそのかされた(笑)のも決断を早めました。それに…語学の習得を考えると、少しでも若い方がよいとの焦りもありました。28歳の誕生日が数ヵ月後に迫る春のことでした。
スペイン語は、どこで勉強されていましたか?
スペインの偉才ガウディと、彼の主だった建築物が現存するバルセロナに魅せられていた私は、「いつの日かスペインへ!」という気持ちを持ち続けていたため、渡西前にも仕事の合間を縫って、語学センターやNHKのラジオ講座を利用してスペイン語を学んでいましたが、いざ現地に降り立ってみると全くチンプンカンプン…(土地の人々がマラガ訛りだったということも、少しは関係しているとは思うのですが)。
そんなわけで、意思疎通ができるレベルのスペイン語を習得したのは、スペインに来てからということになります。こちらでの生活のスタートを切ったマラガで、最初の1年間私立の語学学校に通い、2年目はマラガ大学の外国人コースで基礎になる文法を徹底的に学びました。その後は写真学校やワイン鑑定士学校など、ネイティブのスペイン人と共に机を並べる環境に身を置き、授業について行くために専門知識と平行して、否が応でも語学の勉強も続けなければならない状況を作ったりもしました。
それでも、やはり“語学の習得に終わりはない”のです。今でもスペイン語で原稿や企画書を書いたり、ニュースを見たり、新聞を読んだりと、日々の生活の中でスペイン語の勉強は現在進行形だと言えます。在西9年目に入っても、しょっちゅう感じるもどかしさや語彙不足…。そんな私が実行しているのは、“できない”ことではなく“できるようになった”ことに焦点を当てて自分を褒めてあげつつ、忍耐を持って細々とでも継続してゆくということです。
ラジオ番組「Zona
Japon」のパーソナリティにつくまでの経緯を教えて下さい。
スペインでラジオのディスク・ジョッキーをすることを夢に描いていた私は、マラガ在住時代(97年)にセビリアで行われた“ジャパン・ウィーク”という日本文化を外国人に紹介するイベントの総合司会を引き受けた関係で、アンダルシア州営の“カナル・スール・テレビション”のオーディションを受ける機会に恵まれました。担当してくれたスペイン人職員は、大変親切に計らってくれ、私は最終候補の3人に残ることができたのですが、最終的に地元出身でアンダルシア訛りが話せるスペイン人女性にその仕事(レポーター)は決まりました。
翌98年にマドリッドに移転した私は、日本語放送ができそうな放送局をあたります。首都とはいえ、英語での放送も行われていないという状況の中で、国営放送の“ラジオ・エクステリオール・デ・エスパーニャ”(日本でいうところのNHKの“ラジオ・ニッポン”のような短波放送局)だけは、既に6ヶ国語で放送を行っていました。しかも日本語は含まれていない。ということで、早速企画書を作成し提出。とんとん拍子に話は進み、重役面接後、放送開始日、給料に至るまで決まっていたのですが、結局のことろRTVEグループの予算不足が原因で話はお流れに…。「契約書にサインするまで分からない」というスペインならではの強烈な洗礼を受けました。
それから数年間放送局のことを考えもしなかった私ですが、“Crocus”のスタッフに勧められて、“ラジオ・シルクロ”が行う新年度の放送企画の募集に応募することに。しかし、今度は母国語の日本語ではなく、スペイン語を使って“スペイン人に日本文化を広く紹介する”という、私にとっては思ってもいなかったというか、さらに一段進んだ内容にせざるを得ませんでした。スペインにおける日本人コミュニティの数は、公共の電波で日本語放送ができるほど大きくはないからです。
03年の夏に提出したこの“Zona Japon”のプロジェクトは、トータル200を越えるプロジェクトの中から選ばれ、9月中旬には見本番組の制作後、正式に企画の受理と順調に運びました。三度目の正直!?というところでしょうか。
番組の放送は、いつ始まりましたか?
まったく記念すべく第1回放送になりまして…(笑)。03年10月7日(火)が第1回の放送になるはずでしたが、番組開始の20分前ごろ、突然!マドリッドの放送局が使用している放送塔(総アンテナ)が落ちてしまい、その後40分間ほど“ラジオ・シルクロ”も砂の嵐状態に…。アンテナは17:20位には復旧したのですが、中途半端に放送を出すより次週からキリよく始めたほうが良いだろうとの判断で、初回の放送は次週(10/14)に持ち越しとなりました。
復旧後は18時まで音楽をノンストップでオンエアして、私たちはその間お越しいただいていたゲストの方とのインタビューをスタジオで収録していました。そんな事情を知らずに、この日ラジオの前にスタンバっていた友人や関係各位の方々は、「ここではラジオ・シルクロは入らない」と思われたようで…、ご迷惑をおかけしてしまいました。
ただ、当日ガチガチに緊張していた私はこの一件で肩の力が抜け、翌週の放送からはだいぶリラックスして臨めたという“怪我の功名”はありましたが…。
番組放送が始まってから、一番印象に残っていることは何ですか?
番組ではさまざまな分野で活躍されている方々にゲストとしてお越しいただいていますが、中でも特筆すべきは、あのノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎氏とのインタビューが実現したということ。スケジュールの関係で生出演していただくことはかないませんでしたが、小説“宙返り”のスペイン語版発売にあたり来西された大江氏に、他局のスペイン人ジャーナリストとともに1時間ほどお話を伺うことができました。
この会見の模様は、3月から4月にかけて4回にわたり番組で紹介しましたが、69歳の現在でも衰えを見せることなく輝く知性、国際的な感性、バイタリティ、社会を見る真摯な眼差し、その温厚なお人柄、高い語学力(会見、その後の講演ともに全て英語で行われました)など、感動することしきり。会見後に大江氏からいただいた「がんばってね」というお言葉と握手は、同郷(愛媛県)出身であり、かつ長年、氏が発しているメッセージに共感を覚える私にとっては、一生の宝物となりました。
スペイン人のスタッフに混じって、お仕事をするのはどうですか?
たとえ医療ミスで患者を殺してしまっても、「我々も人間だからミスを犯すのだ」と医師が公の場で発言してしまうお国柄ですので(笑)、曲を出し間違えたり、原稿を読み誤ったり、時間を過ぎてもゲストが現れなかったり!したくらいでは誰もカリカリしません。私も、“郷に入れば郷に従え”で気楽にやっています。
在局のスタッフは皆超多忙にも関わらず、そこはやっぱりスペイン、手と同じくらい口も忙しく動かしながら(よく喋る)仕事をしてますね。日本でいうところの“無駄口”も、ここではピリピリしないための“息抜き”と、人間関係を円満に保つための“潤滑油”として作用しているのを実感。
ところでビックリしたのは、この国ではタバコを吸いながら放送する!ということ。一応スタジオ内には“禁煙”の張り紙はありますが、ちゃんと灰皿が置かれていて、多くのパーソナリティがタバコ片手にマイクに向かっています。これはなにも“ラジオ・シルクロ”に限ったことではなく、全国的な現象。日本の放送局じゃまず見られない光景ですね。

ミキサーのダニエル・ドゥランさん。最近、
独学で日本語を勉強し始めた。 |

番組のコラボレーターをお願いしているパコ・
エストラーダさんは、頼りになるパートナー。 |
スペインのラジオ界について感じることは?お気に入りやお奨めの番組はありますか?
スペインは日本に比べると、圧倒的にラジオの局数が多いですよね。マドリッドでは、AMもFMもラジオのつまみを数ミリ、場合によっては1ミリ動かしただけで局が変わります。そんな中、テレビは地上波に加えてケーブルや衛生放送があり、更にはインターネット通信の可能性も拡大中ということで、ラジオというメディアはそのあり方を真剣に問われる時期が来ていると言えます。
“ながら聴き”ができ、また非常緊急時には必携であるラジオが、すぐさま消滅してしまうとは考えられませんが、これらのメディアと平行して存在してゆくには、ラジオであることのメリット活かし、テーマを絞った番組作りをする必要があるでしょうね。既にいくつもの局が、そういった姿勢で取り組んでいるようです。
ちなみに“ラジオ・シルクロ”は、定時ニュースに至るまで“文化についてのみ”しか扱わないという方針を貫いていますが、局のカラーを明示したことによってマイナーなりに“その筋”のオーディエンスを掴んでいるようです。
個人的には国営放送局の“ラジオ・3(トレス)”が気に入っています。「仕事中や家事の合間に流しっぱなしにしていても耳障りでない(心地よい)から」というのが主な理由ですが、これには新旧取り混ぜたセンスの良いワールド・ワイドな選曲と、量的に多すぎず少なすぎずかつ的を得た喋り(インフォメーション)があることが必須条件になりますよね。
あと、“ラジオ・シルクロ”で月曜日の16:05〜18:00まで放送している“Mapa
Mundi(マパ・ムンディ)”も好きですね。これはタイトルが示すように音楽の世界地図的な番組で、自分じゃ買わないだろうワールド・ミュージックの宝庫だから。お奨めですよ。
将来の夢やご予定をお聞かせ下さい。
“Zona Japon”に関しては、まず“スペイン語をもっと正しく流暢に話せるようになりたい!”ということがあります。夢というより切望かな(笑)。また、“素晴らしい日本文化を発信する”のみにとどまらず、“異文化から見た日本文化(日本人の性質・メンタリティを含む)の疑問点を考える”といったことも番組で取り上げて行きたいですね。あと、放送圏が全国区レベルの放送局に、番組の作り手(パーソナリティとして表に出るのではなく)として参加してみたいです。
実は数年前から、“郷里の四国での田舎暮らし”に魅かれている自分がいるのですが、“Zona Japon”も始まったばかりだし、まだスペインでチャレンジしたいこともありまして。うーん…、難しいですね。せめて日本がもう少し近いといいんですけど。
今のところはまず、来年の春休みを利用して、アナウンサーを目指す日本人の学生さんのために、マドリッドのラジオ局で行うインターンシップを提供することができればいいなと思っています。
インターネットで放送を聴く
<聴き方>
1. 上記「放送を聴く」をクリックしてラジオ局のHPを開く
2. ページ右上部にある "Radio Circulo 100.4 FM"をクリック
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ラジオ番組“Zona Japon”
毎週火曜日の17:05〜18:00(スペイン現地時間)
スペインで開催される日本(人)に関する催し紹介の他、音楽、流行事情、料理、文学などの紹介と、在西の日本人、日本と関わりのあるスペイン人やその他の外国人にインタビューするゲスト・コーナーから構成。
“日本”と“スペイン”と“今”という視点から、時には叙情的に、時には面白おかしく、時にはアカデミックに、広い意味での“ジャパン・カルチャー”を発信しています。
放送は基本的にスペイン語。“La
Agenda Cultural (イベント等の紹介)”のコーナーは、日本語を勉強中のスペイン語圏の方々、またスペイン語を学んでいる日本人の皆さんにも役立つよう2ヶ国語でお伝えしています。
今年の3月1日からは、待望の24時間インターネット放送が始まり、マドリッド州以外にお住まいの皆さんにもお聴きいただけるようになりました。日本では翌水曜の深夜帯(夏時間中は24:05〜、冬時間中は深夜1:05〜)になりますが、是非一度ご試聴下さい。
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取材・文 浅野ひろ子
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