| ギターとの出会い、フラメンコとの出会い、ギターを始めたきっかけは?
高校を卒業した後、何かを学ばなきゃいけないと思い、実際に自分の五感をつかってものを感じて、いわゆる経験を通してものを学んでいくことがこれからの俺には必要なんじゃないかと、18歳のときに決断したんです。
その時に、大学というものはそれを遂行するうえで一番良い方法とは思えなかった。とにかく"やらねえとわからねえ"。知識や思考も全部、自分の経験や五感を通して学んで感じて自分の血となり骨とならないと、わからないんじゃないかと。
それで放浪の旅に出て、タイでキックボクシングをやっていたんです。キックボクシングはいずれやめるだろうということはわかっていて、"何かしら音楽をやってみたいな"と思っていた時に、タイの道端で「ジプシーキングス」の曲がかかっていて、その時、ギターの音にすごく惹かれて。
その頃はフラメンコの存在さえ知らなくて、店の人にどこの国の音楽かと聞いたらスペインだというから、それじゃ、スペインへ行ってみようかなと思ったのが、きっかけです。
でもまだその時はスペインに行ってフラメンコをやろうとは別に考えていなくて、ヨーロッパへ行ったら、スペインにも行ってみようか、というぐらいの感じでした。
| スペインに来て簡単な安いギターを買って、ヒッピーみたいな事をやってた頃にいろんなミュージックシーンに触れ、そして少しずつ、いつのまにかフラメンコギターをやるようになった。別にフラメンコをやるためにスペインに来たわけではないし、グラナダに居つくようになったのも、たまたま町が気に入ったから住みつくようになったんです。 |
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何故、グラナダへ?
スペインへはイタリアからバルセロナにはいって、そこで1ヶ月くらい生活していたけれど、バルセロナの町の雰囲気が自分がイメージしていたスペインの町と違ったものだから、これは南へ行かなきゃと思って、アンダルシアに来ました。
どうしてグラナダなの?と聞かれるけど、たまたまバルセロナのバス停でアンダルシア行きのバスの時刻表を見ていたら、たくさんあるアンダルシアの地名の中で"グラナダ"という響きにひかれたから。

そのユニークな活動ぶりは地元紙でもたびたび取り上げられている
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グラナダに関してイメージできるほどの情報はまったく持っていなかった。最初に来て、アルバイシンを歩いて、アルハンブラへ行って、サクロモンテを散歩して、それでもう『ここだ、ここに住んじゃおう!』と。
グラナダはいろんな意味で"カラフル"な町。例えば人間にしても、スペイン人だけでなく、アラブ系や他のヨーロッパ系、いわゆるジプシーと呼ばれる人たちもいるし、アジアから来ている人達もいる。
小さい町だけど、町の雰囲気が不思議とコスモポリタンな感じ。田舎なんだけど、妙にコスモポリタンという。別にコスモポリタンな感じを求めるならニューヨークとかの大都会はいっぱいあるわけだけど、この町のゆっくりしたリズム、生活のリズムみたいなものが非常に住みごこちがいいから。
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放浪生活
放浪の旅に出る前、非常にいろんなことをかなり根底の部分までつきつめたもんですから、そのときは、みんなが「善だ、悪だ」といっているのも、みんな本で読んだり人から聞いた話でなんとなくそう思っているだけで、『こいつら本当は何にもわかってねえんじゃないか?』と思ったんです。
だから戦争にも行ってみようと思っていましたよ。でも実際は行かなかったし、人もひとりも殺さなかったけど。結構そんな勢いはありましたよ。
いわゆる放浪生活は楽しいですよ。とにかく思うがままにできるわけですから。でもこういう生活をしていては"明日のパン"を得るための保障はないですよ。だけど捨てなきゃいけないのはそれだけだから、それを捨てる覚悟さえあればそういう代償を払ってでもやる価値はあると思うし、そうしてないと俺は病気になっちゃう。
フラメンコについて
フラメンコが多くの人を魅了する大きな理由の一つは、『人は誰しも"聖人"ではありえないわけで、"業"を抱え込んでいる。そういう人間の汚い部分、怒り、嫉妬、憎しみ、悲しみ、そういうものを情熱に乗っけて吐き出す』、そういうことを最も容易に表現できるところじゃないかな。人間の抱え込んだ"業"を肯定していくアルテ(Arte=アート)だと思う。
そういう意味では極めて人間的なアルテだよね。クラッシック音楽やきれいな音楽を聞いていると「おまえそんなきれいごと言ってるけどよー、ほんとうはちがうんじゃないのー?」みたいな感じはするからね。
好きなアーチスト、めざしている音楽は?
ワールドミュージックのジャンルでやっている人たちが好き。
たとえば「アストル・ピアソラ」。彼はワールドミュージックのジャンルに入るかどうかわからないけど、10年くらい前に亡くなった人で、それまで旧態依然として廃れかけていたアルゼンチンタンゴに革命を起こした人。
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彼はNY育ちで、10代後半でアルゼンチンに戻り、その後イタリア、フランスへ行き、ジャズやクラッシック、果てはロックなどいろんなジャンルの音楽を吸収して、それをアルゼンチンタンゴとミックスして、新しいタンゴを作った人。「ピアソラ」はミュージシャンとしての目標であり、尊敬する人です。
日本人なら坂本龍一、久石譲とか、日本の音楽をベースにしながら現代最先端の感覚で音楽を作っている人たちが好きです
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もう一人、「オマール・ハルーク」。トルコ出身で宗教色の濃いスーフィー音楽から出てきた人なんだけど、現在はアメリカ在住で、トルコのスーフィー音楽を核に据えながらシンセサイザーやいろんな楽器を入れて現代の感覚でやっていて、今ワールドミュージック界ではかなり名の通った人。彼が去年グラナダに来たときに、僕は彼のコンサートの企画にちょっと携わったことがあって、至近距離で接する機会があり、直接話を聞くことができた。
彼の話の中で印象に残ったことは、お客さんの中でオマール・ハルクのような名の通った宗教音楽家がシンセサイザーのような電気の音、機械の音をつかうのを嫌がる人たちがいた。
そういう人たちに対して彼が言った言葉が、『機械の音というのは今、現代人はみんな機械の音を通して音楽を聴いていて、生活の中に機械の音はありふれている。それをうまくつかって音楽を伝えようとしている。また、機械の音というのは毒と同じで使い方や量を間違えれば人を病気にしたり、殺したりするけれど、使う量さえ間違わなければ病気を治したりもできるのだ。そうやって音楽を作っていく事は、そういうマニアックな宗教音楽を知らない、いわゆるノーマルな人たちにも音楽を伝えるためにも必要なことなんだ』と。
世界中にあるいろんな音楽のいろんな良さをちょっとずつ吸収して、自分の音楽スタイルを作りたい。今考えているのは、日本的な要素を核に据えながら現代の感覚で音楽を作っていくということですね。
ライブ活動について
普段はグラナダのアルバイシンにあるアラブの茶店で、毎週ライブで弾いているのが、生活のベース。他にはフェスティバルなどで日本や他の外国でも弾いています。
2000年にはアルゼンチンの国際タンゴフェスティバルに出演、去年2月には博多のラテンフェスティバル、7月にはポルトガルのリスボアでの民族音楽フェスティバルに出演、8月には中米4カ国でツアーも行いました。
弾き語りもやるそうですが・・・
はい。去年の夏に中米4カ国をまわったときに、フラメンコギターのコンサートだったけれど、後援が日本大使館ということもあったので日本の曲を1曲ぐらいやったほうがいいんじゃないかと思って、コンサートの終わりにアンコールの時に笛を1曲吹いて、日本語の歌を1曲、はじめて大きなステージで歌ったら、それが一番お客さんに受けたようで、それ以来ライブハウスで時々歌うようになりました。
その時歌ったのは、宮崎駿の映画「紅の豚」のテーマソングでした。
コンサートはソロでやったり、自分のグループてやったり?
はい、両方。今のグループは、スペイン人とイタリア人とキューバ人とでやっています。曲やジャンルは場所やその状況やフェスティバルに応じて。
日本で近々レコーディングの予定があると聞きましたが
今年の12月に、東京で日本伝統音楽の篠笛の鯉沼廣行(こいぬまひろゆき)さんと日本のものを題材にしてレコーディングをするチャンスに恵まれて、非常に名誉なことだと思っています。鯉沼さんの篠笛は黒澤明監督の映画音楽にも使われたことがあるんです。
日本での活動は?
日本ではレコーディングのほかに12月11日に東京の浅草橋でコンサートも行います。作曲したオリジナル日本音楽をメインに、ギターと笛で。僕のギターソロもあります。
あと12月18日は東京赤坂の「Bフラット」というジャズのライブハウスでフラメンコとアルゼンチンタンゴのテーマでライブがあって、12月20日から25日までは東京の渋谷の駅に新しいビルができたらしくて、その落成イベントとして2日間ライブをやることになっています。
今までにコンサートで好評だったのは?
ライブをやるときには、ほとんどリズムもの、スピード感のある曲をやることが多いけれど、そのなかに1、2曲、バラードっぽい曲もいれたりします。音楽的にはアラブ音楽だったり、ジプシー的な音楽だったり、そういう、非常にシンプルでゆっくりした曲のほうが最終的にコンサートが終わってからもみんなのハートに残っていることが多い。みんなが自然に口ずさめるようなメロディー、そういうのをこれからもやりたい。
日本人として、スペインで、外国で活動することについて
やっぱり"アルテに国境はない、年齢とか男女の性別とか関係ない"っていうのは、まったくその通りだと思うし、本当にアルテがあれば、きっとそういうものを超えてみんなのハートに伝わると思う。
人は自分のアルテに自信がなかったり、認められなかったりすると、つい人種差別だとか男女差別だとか、言い訳を探す傾向がある。だから自分はそういうことを言い訳にしないように、いつも心掛けている。
だって実際ちゃんと本気でやっていれば、本当にいいものをやっていれば、みんなわかってくれる。
それが芸術であるかどうか、いいものであるかどうかは自分が決めることじゃなくて、他人が決めること。いくら自分が『これはいいものなんだぜ!』って言ったって、それが目の前にいる人に伝わらなかったらアルテとしては成立してないわけであって…。
やっぱりゴタクを並べる前に、みんなのハートに届くことをやらなきゃいけないんじゃないかな。
これからの活動とメッセージ、どんなことを聴く人に感じて欲しい?
それは、何を伝えたいかはその場その時の状況で変わってくるし、僕にとっては音楽はただの媒体でしかないから、理由やモティベーションっていうのはその場、その瞬間によって全然違うものになっていくから、何とも言えないんだけど。
今考えているプロジェクトがあって、次に組もうと思ってるグループと企画というのは、さっき言ったような国境や性別、年齢を超えたアルテをひとつのグループを組んでやろうと思っている。
名前はもう決めてあるんだけど、「白組」という名前で、メンバーは全員男、しかも全員日本人、でしかも若い衆(笑)。
これまで言ったことと矛盾するじゃんって言われそうだけど、それぞれのメンバーがこのビジョンを持って、さっき言ったテーマをやるわけ。いろんな国でね。音楽は日本的なものをベースにして、しかも外国で受けるように、やろうと思ってるんです。"どうだ、俺達国際的だろって"。
メンバーの目星はもうついているの?
もうだいたいは。ぼくのまわりにはそういうイカれたやつらがいるんです。結構おもしろいんじゃないかな。
今後の活動の拠点は日本?それともスペイン?
いや、もう外国を回りつづけるでしょう。
実は12月のおわりに日本での仕事が終わったら、アメリカかフランスに移ろうと思っているんです。都会に出ていこうかなと。アメリカだったらNYかカリフォルニア。それはちゃんと仕事をしようと思っている人間のいる所へ行って、ちゃんと仕事をしようと思っている人間とちゃんとした仕事がしたいと思っているので。
少なくとも自分は頭のてっぺんから足の先まで日本人だと思っているし、日本的な美意識が自分の中核にあるということを強烈に感じている。
例えば日本人てなんだろうとか、日本人的なものってなんだろうとか、日本的な思考や判断基準などを持ちながら、日本人として生きようと思ったときに、それは必ずしも日本じゃなくても、世界のどこにいても日本人として生きていけると思っているから、きっと場所じゃない、ハードはなんでもいいんだ、ソフトの方を日本人にしながら、それをベースに多分どこででもうまく生きていけるんじゃないかなと思っている。
だから最終的にどこに住むかはわからない。自分にとって一番大事なのは"おもしれえところ"にいること。今は日本にいるよりも外国に出てる方が"おもしれえ"から外国にいるわけであって、日本が嫌いだからとか、外国が好きだからとかそういうわけではない。
ライブのとき感じることは?
やっぱり緊張はぜったいする。中米に行ったときは1500人のお客さんを相手にやったけど、それは必ず緊張する。
で、緊張するっていうのはいいことなんだよね。緊張してもらわなきゃ困るし、そういう場所なんだから。問題は自分の昂揚感とか特別な感情をいかにコントロールするかってことなんじゃないかと思う。
ステージの上でパフォーマンスをピシッと決めることができて、お客さんとの一体感を感じられた時っていうのは"昨日も明日もいらねえぜ"みたいな、そんな瞬間ってのはあります。
そこで大事なのは、その場所にいる人たちみんなが同じ気持ちになったときじゃないと、そういうふうにはならないんですよ。
滑走路から飛んでいくみたいな、ね。飛行機だけ飛んでいって、みんな残ってましたってんじゃ、そういうふうにはならない。その瞬間があるからやめらんねえです。
取材・文 西原美知子、Mieko
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