若林雅人さんのプロフィールは こちら



六本木にある森美術館のオープニングパーティー会場で、以前、同じ展覧会に出品していたスペイン人のビデオアーティストと会った。

「君はアンダルシア訛りのスペイン語をしゃべるけど、どうして?」
「実はフラメンコが好きで、アンダルシア訛りの会話に参加することが多いからなんだ」

話は自然と「日本人のフラメンコ」へとなった。「3年前に日本語で歌ったCDを作ったんだよ」と言うと彼は僕にこう聞いてきた。

「面白い!すると日本語でシギリージャとかアレグリアスとかを歌うのかい!」

彼の瞳は期待に満ちてキラキラしている。でも僕の試みがルンバやタンゴなどだと知って、その光はすぐに消えた。

*************************************************

1994年にリリースされた堀越千秋さんのCD「望郷のソレア」は革命的であった。プロデューサーの逢坂剛さんと、阿木燿子さん、僕の作詞による日本語のソレア、ブレリア、グラナイーナ、ルンバ等、シビアなカンテと遊び心満載の全12曲。

あれから既に13年経ったが、フラメンコを日本語で歌うことが市民権を得たとはとても思えない。実際、堀越さんでさえ「ここ一番!」という時は日本語では歌わない。やはりスペイン語で歌わないとダメなのだろうか?

フラメンコはスペインの民族音楽だから彼らに敬意をもって学ぶ、という態度は誠に正論なのであるが「日本ならではの音楽的アプローチができないものだろうか?」と常々思っている。

2001年月刊誌「パセオフラメンコ」11月号での特集「日本人の歌」という企画でインタビューを受けた時も「日本人なんだから日本語で歌いましょうよ!」と主張したのだが、先輩達からは「あ〜、あんな事言っちゃって。それより、もっとフラメンコを勉強しろよ!」なんて忠告を受ける始末。

でも日本語で歌えれば、自分の気持ちを歌詞にストレートにのせて歌えるし、聴いている方だって直接その心情を受け止めることができるのに、なんで皆やらないのだろうか?歌い終わった後に「どんな事を歌っているのですか?」なんて質問されて「今の歌詞の内容はこれこれです」なんて説明する必要もないし。

最近では日本人アルティスタのオリジナル曲を収録したCDがリリースされるようになり、日本語での表現が以前より聴くことが出来るようにはなった。改めて思い出してみると、日本語でフラメンコという試みはこれまでにも色々とある。

年長の友人であり、日本人カンテフラメンコの草分け的存在の瀧本さんは、先日マドリッドの由緒ある「シルクロ・デ・ベジャス・アルテス(芸術サークル)」でカンテを披露して喝采をあびたが、彼は以前「こんでえんか?(こんで演歌)」というライブを企画して日本の名曲をフラメンコ調で唄っていた。彼のキャラクターや声質が演歌に合っていたこともあって「なるほど」と感心させられたものだ。

彼が参加している阿木燿子&宇崎竜童夫妻と鍵田真由美さん達による「曽根崎心中」も全曲日本語の歌だが、このアプローチは既にできていた「ロック曽根崎心中」をフラメンコにアレンジしたという意味で「こんでえんか?」と同じ手法であろう。この作品に関しては、スペイン公演の時こそ、逆にスペイン語で歌って欲しかったと思う。

数年前にスペイン人カンタオーラ(歌い手)が日本語で歌ったセビジャーナスのCDを聴いたことがある。日本語も間違ってはいなかったが、彼女の内なる表現というより「誰かに頼まれて歌ったのでは?」と感じた。興味深かったのはマイナーなコード進行にのせて日本語で歌うと、何となく演歌っぽくなるのだ。カラッと乾いた感じがしない。

1991年にリリースされたディエゴ・カラスコの「a tienpo」では、そのイントロにセビージャ在住の志風恭子さん達が歌った童謡「浦島太郎」がモチーフに使われていた。コミカルなリズムに「ト〜レ〜ロ!」という大合唱のリフレインが展開する構成は、スケール大きく「やるなぁ!」と唸らされたものだ。

トニー・ガトリフ監督の映画「ベンゴ」の中で、酔った女性が日本語で歌う「ラブ・ユー・トウキョウ」はフラメンコの曲ではないが、フラメンコの薫りに満ちていた。やはり「フラメンコな人」が歌えば、自然とフラメンコの良さが感じられるということなのだろうか?

何年か前、日本フラメンコ協会主催の新人公演で踊りのバックに出演していたアントニオ・デ・ラ・マレーナ・デ・ヘレスが、そのアレグリアスの最後に、

「ナゴリオシ〜イケド、サヨナラ〜!」

とみんなで歌いながら舞台の袖に消えていったのを覚えている人はいるだろうか?現在進行形のフラメンコを楽しんでいる、才能あるスペイン人アルティスタが日本で生活を始めたら、やっぱり日本語で遊び始めるのではないだろうか?

昨年来日したディエゴ・アグヘタの伴奏で各地を旅した時、酒席で御機嫌の彼が日本語で歌いはじめた。いかにもカタカナ日本語で思わず笑ってしまったのであるが、勉強熱心な彼が高円寺に住み込んで一年も過ごせば、座興ではないプーロな日本語のカンテも可能なのではないかと期待してしまったものだ。

僕のスペイン語は、若い時3年ほどスペインに滞在した時に覚えたものなので、その理解力はまったく怪しいものであるが、それでもカンテが好きだし楽しむことは出来る。「言葉の意味がわからなくても感動できる」という事実は、カンテフラメンコの大きな魅力であり秘密だ。もちろん、知っていればその楽しさは倍増するのだろうけれど、知らなくても楽しめるのもこれまた事実である。

なんでもかんでも「日本語で歌わなくては!」というのはちょと乱暴だし、全然フラメンコを知らない人に「これが日本語のフラメンコだ!」と言われたら、やっぱり抵抗があると思うけど、それでも、日本語で魅力あるフラメンコができたら素晴らしいと思う。だって僕たちが普段友人たちと語り合ったり、読み書きしている一番身近な言語は「日本語」なのだから。

*************************************************

そうした悶々とした年月を経たある日、ギターリストの石田長生さんと知り合った。彼は僕より一回り上の世代だが、ロックやブルースのギターキッズにとっては神様みたいな存在の人である。彼自身の弾き語りによるソロ活動やCharとのデュオ「Baho」、阪神球団公式応援歌制作等、とにかく元気一杯なナイスなお兄さん(?)である。昨年リリースしたソロCD「Ishiyan」発表ライブでは、親友の忌野清志郎さんが来て舞台で熱唱してくれたそうである。

「え〜!まだそんなこと議論しとんのか?それじゃぁ30年前の日本のロックの状況と同じやんか」

そう言うと、石田さんは日本での当時の話を色々と教えてくれた。

「その頃、内田裕也さんが『日本語はロックのリズムにのらない』って言ってたんだよ。でも松本隆さんとか細野晴臣さんの「はっぴいえんど」が出てきて日本語でも格好良くできることを証明しちゃっただろ。あとはなぁ、清志郎が登場した時、雑誌のインタビューで『日本語でロックができますか?』って質問されて『できないのはその人に才能がないからですよ』って答えたんだよ。頑張れ、若やん!」

もうその日は盛り上がって朝まで2人で飲みまくりましたよ。

僕がカンテフラメンコに魅力を感じなくなることは絶対ない。しかし、いつか日本語でフラメンコを楽しめる日が来ることも絶対間違いない。もしかしたら30年以上かかるかもしれないけど絶対に来る。壁はもちろんあるし、高いかもしれない。しかし全国には僕と同じように試行錯誤をくり返している人達がいることを、現れることを信じている。たとえ酒の席での遊びだって、それは「僕らの歌」なのだ。皆さん!「まじめに遊ぶこと」でそれを実現しましょう!

最後に感謝を込めてひと言。

「石やん!本当にありがとう!」

 

「若やん&石やん」石田さんの帽子とTシャツに御注目!

若林雅人さんのHPはこちら

若林が行く!のバックナンバーはこちら