筆者近影


若林雅人さんのプロフィールは こちら

今回は若林雅人の個人的な嗜好と体験による音楽紀行をお送りします。意味不明な固有名詞や時代背景、人間関係は音楽辞典や雑誌、レコード店での情報を参考に解読してください。それでは、どうぞ! 



1984年春、ヴァン・ヘイレンのアルバム「1984」が発表され、そのヒット曲「ジャンプ」を頭に響かせながら生まれて初めての外国、カリフォルニア州ロスアンゼルスへ着いた。

その年ディープ・パープルが再結成、新作「パーフェクト・ストレンジャー」発表後のアメリカツアーで、イアン・ギランとリッチー・ブラックモアーが同じロスアンゼルスフォーラムのステージに立っているのを見た時の興奮は忘れられない。

イアン・ペースの豪快さに満ちたドラムソロ。ジョン・ロードの、まるでバイクを運転する様にハモンド・オルガンを揺する演奏姿。そして我らがリッチー・ブラックモアー!あの猫のようなしなやかさと、何をするのか油断のできない立ち振る舞い。軽やかに、柔らかく、そして大胆にギターを扱うあのセンス。あんまり格好いいんで、曲が始まるごとに飛び上がっていたら「お兄ちゃん、静かに楽しもうぜ」と後ろから肩を叩かれた。一列に並んだ白い巨漢達。もちろん、その後は紳士的に興奮させて頂きました。

その時の前座はジェフリア。キーボードによるイントロで「コール・トゥー・ハート」が始まり、グレッグ・ゴールディーのギターソロが軽やかに始まった時には「アメリカに来て良かった!」としみじみ思ったものだ。

ロニー・ジェイムス・ディオ率いるディオが同じ会場で「レインボー・イン・ザ・ダーク」を熱唱しているのを見たときは複雑な気持だった。リッチー・ブラックモアー、コージ・パウエルと共にレインボウ全盛期を築いた彼が、グループ脱退後、その恨み節のような曲を親指を下に向けながら歌うのを観るのは、彼ら両方のファンとしては誠に残念であった。

しかし、このライブもそれ以外は痛快な出来事の連続で、何と言ってもドラムのヴィニー・アピスが圧巻!兄カーマイン・アピスも強烈なドラマーだが、弟の鬼のようなドラミングは「舞台の上に閻魔様」といった印象である。彼を囲むタム(太鼓)の壁をグルグル回りながら叩きまくり、とても一本の足で叩いているとは思えない強烈なベードラの連続に「もう、どうにでもしてくれ!」と会場中が地鳴りのような歓声である。新人ビビアン・キャンベルは「これでもか!これでもか!」とシャーベルのギターを弾きまくり、登場した巨大な怪物が舞台の上をうねり、吹き上がる炎は高く、次々に爆発するマグネシュームの煙は白く丸くて大きくて、ゆっくり天井に届いてはフニャ〜っと消えていくのであった。

この時の前座はラフカットで「やっぱり本場はちがうなあ。このバンドが前座だもんなぁ」と思ったものだ。

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その頃のLAメタルは実に華やかだった。売出し中のドッケンは東海岸のラットやツインテッドシスターと共に、KMETやKLOSといったラジオ局のハードロック番組の常連で、アルカトラスでメジャーデビューを飾ったスーパー・ギターリスト、元スティーラーのイングウエイ・マルムスティ?の超高速ギターと共に僕をワクワクさせた。

キリスト教バンド、ストライパーのコンサートはいかれた宗教団体の集会場みたいだった。ステージの上には黄色と黒の縦縞の大段幕。そこに書かれた大きな「666」の文字。メンバーの衣装もギターもベースもドラムも、とにかく全部この縦縞。会場の熱気は全く異常としか言いようがなく、オール・スタンディングの人々の高揚した表情と歌詞の内容やスピーチに嫌気がさしたのか、同行した友人は不機嫌になってさっさと帰ってしまった。

「クレイジーナイト」を引っさげてアメリカ上陸を果した日本人4人組ラウドネスはロス郊外のライブスポット、カントリークラブでデビュー。黒人ハードロックバンドやローランドのギターシンセを取り入れたメタルバンドのステージが終わった夜11時にメインアクトとして登場。長い金髪に三角あごをした、いかにも西洋ロッカー然とした客達はなぜか後方で静かに鑑賞し、舞台の近くはラテン系や東洋系のファンでごった返している。「君は日本のマスコミの人ですか?」「いや違います」なんて意味のわからぬ会話の中、フロアは年末のアメ横状態である。コテコテの演奏の連続にアンコール曲の「スピード」が終った時は汗だくで、外に出てみれば帰りのバスなどとっくになくて途方にくれたものだ。

ウィルシャー・ブルーバードに面したクラブでは、後にディープ・パープルのギターリストとなったスティーブ・モーズがピックアップを沢山つけたストラトキャスターのネック付改造テレキャスターでスティーブ・モーズ・バンドのライブをやっていた。腰までとどく金色のストレートヘアーをサラサラゆらして演奏する姿は、強力無比なピッキングと美しい音色を奏でるギター同様、実に個性的だった。

その時の前座はアラン・ホールズワースの名盤「ロード・ゲームス」で凄まじい演奏をしていたベーシスト、ジェフ・バーリンのリーダーズバンド。レコードで聴いた驚異的な演奏に嘘偽りのないこと目の当たりにして改めて驚いた。

UCLA近くのタワーレコードには「ロリー・アンダーソン店頭ライブに来たる」と白黒コピーでつくったチラシがぺたりと貼ってあった。10年後、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールの大会場で、体中にシンセサイザーのパッドを貼り付けて音を出しながらバイオリンを弾く彼女の姿を、その時、一体誰が想像したであろうか。

CD「ギターラ・アマリージャ」についての、皆様からの様々な反応ありがとうございました。今年、僕の作品も含めて邦人フラメンコアーティストのCDが既に4枚も発表されました。スペインで発表される数とは比較になりませんが、それでも個性で勝負する、本来の意味での「アルティスタ」たちの時代が日本でも始まりそうな予感がします。今後の展開がとても楽しみですね。