第54回

小島慶子さん(舞踊家)


 ライブで大人気の小島慶子さん。指導を受けてはいなくても、「小島さんの踊りが見たい」と会場に足を運ぶファンは数多い。今年は9月の発表会のあと、秋以降もライブ出演の予定が目白押しで、自身も「新しい扉が開かれた年」と語る。10月からスタートする月例ライブ、11月のアンヘリータ・バルガスとの共演など、楽しみは尽きない。


小島慶子さんら「Grupo Canela pura」 による
月例ライブは 10月以降、
毎月カサ・デ・エスペランサで開催。
第1回は10月14日(金)。
アンヘリータ・バルガスとの共演ライブは
11月17(木)〜19日(土)、
カサ・デ・エスペランサで開催。
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(C)渡辺 亨

 いつも多くの人にライブを観に来ていただけるのは、とてもうれしいです。でも、それがなぜなのかは私自身にはよくわかりません。

 ただ、95年の後半から2000年まで、出産と育児で踊ることをやめていたので、私のことを知らない人が多かった、ということがあるのではないでしょうか。観に来ていただいた方からは、よく「元気をもらいに来ました!」と言っていただきます。私としても全身を使って、すべてを懸けて踊りますから、それを観る方にも感じてもらえるのでは、と思います。

 一度踊りを離れたとき、生活そのものが大きく変化したのですが、その結果、それまでは見えなかったいろんなことが見えるようになって、今の私の踊りは、そういうことがあって成り立っているんだと思います。

結婚と出産、育児が転機に

 小学校に入ったときからずっとバレエを習っていたのですが、日本女子体育短大の卒業公演でフラメンコを選んだのがきっかけで、佐藤桂子先生に師事してスペイン舞踊を学びました。

 それまでは本当に、フラメンコっていうと「バラの花をくわえて踊る」といったイメージしかなかったのですが、やってみると、人間臭さを出さないことが求められるバレエとはまったく逆で、自分をさらけ出して踊るフラメンコが新鮮で、なおかつ自分の求めていくものだと思いました。

 すっかりのめり込んで、佐藤桂子先生の舞踊団に入り、アルバイトをしながら生活する日が続きました。とにかく踊るのが楽しかった。スペインに行ったのは88年の3ヵ月と、91年12月から1年3ヵ月。初めて訪れたセビージャで、子どもが大人顔負けのフラメンコを踊っているのを見たときは衝撃的でした。自分のフラメンコ感が一変したのを覚えています。

 日本では、当時まだ新宿に「ギターラ」などのお店もありましたし、地方でのお仕事も多く、毎日のように踊れる機会がありました。踊らせてもらえることがうれしくてどんどんお仕事をいただき、そのうちに教えることも始めて、結果、フラメンコが職業になっていたという感じです。

 その後、結婚して出産、育児の期間があったことは、私にとってはやはり大きな転機でした。子どものときからバレエをやって、短大を卒業後はずっとフラメンコでしたから。そのまま踊ることを続けていたら知らないままだったことを、休んでいる間にたくさん知ることができたんです。これが大きかったと思います。

「スペインで主に指導を受けたのがホセ・ガルバンでした。91年の暮れにマドリッドに行ったときは違う人に習うつもりだったのですが、偶然にも彼に会ってしまって。“クリスマスに一人じゃかわいそう”と、セビージャに強制連行されました(笑)」
(C)Tsutomu Nakao

フラメンコから離れたことで、
いろんなことが見えてきました

 妊娠中は、シギリージャやソレアなど重い曲は聴くことができませんでした。フラメンコが好きで、ずっと続けたくて頑張ってきたのに、180度転換して、もう踊りもいいやっていう心境になったりしたんです。自分でも自分にびっくりでした。

 出産後も教えることは続けていたのですが、表舞台に出ることはしないつもりだったんです。子どもの成長を見守ったり、子どもといろんな所に遊びに行ったりするのも、それはそれですごく楽しく満たされましたしね。ただ、その間に主人(ギタリスト、金田豊さん)に「君は踊りを続けなきゃダメだ」と言われたんです。それがなかったら、今ごろはそのまま専業主婦になっていたかもしれません。

 転機になったのは、オープン以来、何度か訪れて仲良くなっていた教室近くのラテン系のお店のオーナーから、その店の2周年記念ライブで「ぜひ踊ってほしい」と頼まれたことでした。決して広くはないお店のフロアで、表舞台から遠ざかっていた私は最初、あまり気乗りしなかったのですが、たくさんの人が待ってくれていて、踊り始めるとだんだん楽しくなってきて。かつての記憶が蘇ってきたんです。

 それからですね。トントン拍子にお話が入り、またライブに出るようになったのは。休んでいる間に、思うように踊れなくなっていたのですが、同時に、以前とは違った気持ちで踊りに接する自分もいました。フラメンコから離れたことで、いろんなことが見えてきたんです。

 以前は好きなことを仕事にして踊っていたけれど、ただそれだけで、今にして思えば精神的にも技術的にも余裕がなかった気がします。でも復帰後は、若いころの爆発するような踊りではないけれど、借り物ではない、自分の踊りというものができるようになったのではと思います。ライブにおいても、踊り手だけが前面に出るものではない、と気づいたり。

「出産予定の直前に病院を抜け出して、田中美穂さんの招聘で来日したファルーコの公演を観に行ったんです。そのときファルーコに再会できて、その上、お腹を撫でてもらったのがすばらしいプレゼントで、すごくうれしかった。でも、それなのに子どもは今はフラメンコに興味がないみたいです(笑)」
(C)渡辺 亨


今また、新しい扉が開かれる

 今年後半は、いろんなライブの予定が盛りだくさん。特にカサ・デ・エスペランサさんからいただいた二つのお話は、私にとってもすごく楽しみです。

 一つは11月のアンヘリータ・バルガスとの共演です。以前クルシージョを受けたことがあって、人生そのものがフラメンコという彼女の生き方にすごく共鳴したんですね。前に彼女が来日したときにはライブに3日間通いつめました。今回、共演のお話をいただいたのは、すごく光栄なこと。いい舞台をお見せしたいと思っていますので、ぜひ観に来ていただきたいと思います。

 もう一つは、10月から月例ライブを始めることです。去年の12月に、私が復帰した直後から4年8ヵ月にわたって西日暮里のアルハムブラに出演していた水曜のグループが解散したのですが、今後はカサ・デ・エスペランサで毎回、ゲストを招いて「Grupo Canela pura」として続けていくことになりました。

 同じメンバーでずっとやってきて、培ったものが必ずあるので、それを絶やしたくないんです。毎回、「いっしょにライブを楽しもう!」という主旨で行っていきますので、こちらも楽しみにしていただきたいです。

 教室の方は、自分のスタジオとしては来年でちょうど10年になります。教えることはずっと大切にして、出産して3ヵ月後には再開しました。

 体を動かして表現すること、私はそれが踊り手の言葉だと思うんです。いかに自分の意思を身体で表現するのか、観ている人たちに踊り手としての言葉を伝えるか、ということをモットーとして、まずは体の軸を知ってもらうことから指導しています。

 最近は私の踊りを観て、と入ってくる人が増えて、生徒のほぼ半数を数えます。踊りに大切なこと?それは根性ですね(笑)。私は指導者としては厳しいと思いますが、体育会系のノリで、長いキャリアの生徒も多いですよ。

 アルハムブラでの出演がなくなったのは残念ですが、復帰してからずっと続けてきたアルハムブラでのライブが終わったのは、一つの区切りがついたという思いです。この4年8ヵ月は次のステップへの準備期間、ブランクがあって、体と精神を元に戻す期間だったのでは、と。

 今また、新しい扉が開かれつつあるという気がするんです。不安半分、期待半分ですが、秋以降のライブも、どうか楽しみにしていてください。

「そのときの気持ちを大切に、“今”を踊ります」
(C)Tsutomu Nakao

取材・文 藤戸良彦