第51回

影山奈緒子さん(舞踊家)


 2月9日、影山奈緒子さんが初めてのリサイタルを開催する。共演は「ふだんからいっしょに踊る機会が多くて気が合う」小林泰子さん。カンテ(歌)は「前に共演してすごく楽しかった」クーロ・フェルナンデス。自ら「何が飛び出すか自分でもわからない、びっくり箱のようなもの」と語る今回のリサイタル。楽しみにしている人も多いはずである。


影山奈緒子&小林泰子フラメンコ・リサイタル
「A si, soy yo」は2月9日(水)19:15から
新宿エルフラメンコで開催
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 クーロ(歌手のクーロ・フェルナンデス)とは03年の2月にライブで初めて共演して、それ以来、ずっといっしょにやりたいと思っていたんです。

 あれは踊っていて初めての感覚でした。すごく楽しくて、振りが体から勝手に出てきたんです。クーロも楽しかったようで、途中からは立ち上がって踊っていました。

 後日、人から聞いたのですが、私の踊りはクーロが好きなフラメンコに近かったそうです。スペインに帰ってからも「日本に面白い子がいるぞ」と言ってくれていたそうで、それがきっかけとなり、色々な先輩方とのお仕事のチャンスに恵まれました。今回、これが彼にとって最後の来日になる、と聞いたので、これがラストチャンスだと、思い切ってリサイタルをやろうと決めたんです。

 踊りで共演する小林泰子さんとはふだんから相性もよく、やはりずっといっしょにリサイタルをやりたいと思っていました。めざすところが似ているし、クーロも彼女のことを気に入っていましたから。リサイタルの「A si, soy yo」は「私たち、こんな感じです」という意味。やっちゃん(小林泰子さん)とは、特に作り込んでいくのではなく、ふだんやっていることをちょっとだけバージョンアップしてやろうと話しています。私にとってはもちろんですが、実は彼女にとってもこれが初めてのリサイタルです。

今回のリサイタルは、変化球勝負ではなく、直球ど真ん中勝負という感じ。やっちゃん(左)とは、お互い踊りたい曲を踊ろうと話し合っています。

 彼女は舞台経験も長く、インスピレーションから踊りを作っていくタイプ。即興に関しては天才的な踊り手だと思います。これまでも共演していて、舞台の後ろでパルマを叩いて彼女の踊りを目の当たりにした時、何度も「やられた!」と思いましたよ。その「嫉妬しつつもオレー!と思う気持ち」がうまく作用してプラスの方向に働くんです。見ている人からも、個性はまったく違うけれど二人のバランスが取れていると言われることは多いです。本当に、いい意味でのライバルですね。今回、彼女がどう踊るか、実は私もすごく楽しみなんです。

森田志保さんとの出会いがフラメンコに対する姿勢を変えた
 
  去年の3月に会社を辞めて正式に自分のクラスを持つようになったのですが、振り返ると、特に最初の頃はきつかったですね。生徒が一人も来なかったらどうしようとか、すごく不安でした。結局、去年はまるまる1日休めたという日は合計して1週間もなかったです。

 私は子どもの頃にジャズダンス、大学では演劇をやってきて、舞台に立つことは好きだったのですが、社会人になって、人から「フラメンコが似合いそう」と言われて習い始めたのが、この世界に入るきっかけでした。

 でも、あくまでも「OLの習い事」でした。週に1、2回のレッスンを5年半続けましたから。その後、教室も仕事も休んでセビージャに半年滞在したことがあったのですが、ラ・トナという先生のクラスでレッスンを受けていた時、きちんとしたフラメンコを踊っている日本人がいたんです。それが鯨岡裕美さん。そして彼女が師事しているのが森田志保さんだと聞いて、帰国後、悩んだ末に、私も志保先生に習うことに決めました。

今年は自主企画のライブを中心にやりたいと考えています。ライブの数は減るかもしれませんが、内容的にはより濃いものを作っていきたいと思います。クラスも2年目になりますし、腰を据えて両立させたいです。

 でも、ちょうどその頃から仕事が忙しくなって、自習はおろか、クラスに行くのもままならない日々が1年半くらい続きました。ある日、志保先生から「これからどういうスタンスで踊りをやっていきたいの?」と問い詰められたんです。そして、「あなたは目標がないときちんとやらない人だから」と背中を押されるかたちで出演したのが、2002年のフラメンコ協会の新人公演だったんです。

 その時の踊りといったら、もうボロボロでしたね。あんなに大きな舞台で踊ったことなんてなかったですし、緊張のしっ放し。あの時点で「至上最悪の踊り」をしてしまいました。結果として、奨励賞を受賞させていただいたのですが、悔し涙が嬉し涙に変わって、もう舞台の後は泣きっ放しでした。踊ったのはソレアでした。

 その1年前、まだ「自分の踊り」というものがよくわからなかった私に、初めてしっくりくる踊りを教えてくれたのは、ソラジャ・クラビホでした。ソレアの振りは彼女に教わったものなんです。何となく、私にはこういう踊りが合っているのかな、と思い始めたのはこのころから。後日、ソラジャに受賞の報告とともにこのことを伝えたらすごく喜んでくれました。クーロが褒めてくれたのもソレア。それ以来、できるだけオーソドックスでシンプルな振りの踊りを心がけるようになりました。

約10年の社会人経験で多くのことを学びました

 実は去年の8月までは以前に勤めていた会社で週に3回アルバイトをしていました。だから、完全にフラメンコだけで一本立ちしたのは去年の9月から。会社員の方が安定しているし、フラメンコを職業とすることにはずっと迷いはありました。志保先生のところでは今も代教をしていますが、生徒としては03年の発表会で卒業しています。

 私は小学校5年から中学2年まで海外(アメリカ)に住んでいた帰国子女なんです。今の私のアイデンティティは、そうした体験が元になって形成されているのだと思います。そしてそれがフラメンコにつながったのかもしれません。団体行動やつるむことが苦手で、自己主張が強い。そのせいで、中学の時はいじめられたこともあったし、社会人になってからも人とぶつかることが多かった。

おととしの5月に結婚しました。主人もギターを弾いており、すごく協力的です。家族や生徒や友人など、沢山の人の支えがあって今の私があるのだなといつも感謝の気持ちでいっぱいです。

 でも、そういった経験のお陰で人の気持ちについて学んだ気がします。特に、約10年の社会人経験は、人とのよい距離感について学ぶことが多かった。もっと早くにフラメンコと出会ってそのままプロになっていたらもう少し早いうちに踊り手としてブレイクしていたかもしれませんが(笑)、人間的にはとんでもない人になっていたかもしれません。仕事が忙しくて踊りがほとんどできなかった時期は、正直、踊りが思う存分できる環境にある人のことを妬ましく思ったりしたこともあります。でも、社会人経験が私に教えてくれたことはかけがえのないものです。そういう意味で、回り道だったかもしれませんが、結果的に私にとってはこれで良かったのだと思っています。

 短気な私が人に教えるなんて、とても考えられなかったですが、やってみると案外面白い。生徒から学ぶことも多いですし。でも、自分のキャパを超えてまで生徒に教えようとは思わないし、生徒一人ひとりときちんと向き合いたいので、あくまでも少人数制でやっていくつもりです。

 今思うと、フラメンコに関しては「こうなったらいいな」と思うことはすべて実現してきたような気がします。1年前を振り返ると本当にきつかったですが、でも、大げさかもしれませんが、人間、死ぬ気になれば何でもできるんだなあ、と思いました。

 将来の目標ですか?これは夢でもあるのですが、スペインの舞台で踊ることです。ブーイングを受けてもいいから踊ってみたい。あとは自分のスタジオを持ちたいですね。これは5年以内に達成したいと思っています。

取材・文 藤戸良彦