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今は月2回、神戸のタブラオにレギュラー出演しており、あとはクラスでの指導。毎月、新曲を振り付けしていますので、それだけであっという間の毎日です。
さらに、2月22日に初めての発表会が控えており、振り付け、構成など "生みの苦しみ"も経験しています。私もソロを踊りますが、トリを飾る中級クラス6名のソレア・ポル・ブレリアのラストで、全員にフィエスタ用ブレリアソロを踊ってもらうんです。個々の個性が光ることを重視し、約1年半かけて仕上げた、いちばん時間がかかった曲です。
出演するのは12歳から54歳まで、フラメンコ歴半年から6年くらいの方で、22人の予定です。他の群舞の振り付け構成も凝っている方なので、フラメンコを知らないお客様にも楽しんでいただけると思っています。
運動不足解消に始め、ドイツでのめりこんだフラメンコ
「やる気のある人には平等に踊るチャンスを」
私とフラメンコとの出会いは、11年前、勤務地の奈良に住んでいた時、地方紙の新聞広告に「フラメンコ無料体験レッスン」と書かれた広告を見つけたのがきっかけでした。ちょうど肩こりがひどくて何か踊りを習いたいと思っていたんです。運動不足解消に始めたフラメンコが、今では自分の職業になったのですから、人生って本当に不思議ですね。
| 奈良では川本典子先生に師事し、フラメンコの楽しさを教わりました。それから、夫のドイツ転勤で渡独し、そこでレナーテ・バーグナー氏に師事しました。ここは毎回ギター伴奏がつき、3ヵ月に1回はスペイン人のクルシージョがあったんです。ファナ・アマジャ、マリキージャ、ティモといったすごいアルティスタばかりで、本物のフラメンコを追及するレナーテの真剣さに心を打たれ、フラメンコにのめりこんでいきました。 |

ヘレスでいつも師事しているフェルナンド・ガラン(右)と、カンタオール、ダビ・ラゴス(後ろ中央)、ギタリスト、クラウディオ(左)と稽古後に。「いちばん影響を受けた先生は東京の加藤美香先生です。一時期、大阪から東京まで、毎月、多い時は毎週のように通いました。踊りのテクニックだけではなく、プロとしてやっていくにはどうあるべきか、たくさんのことを教わりました」 |
ドイツ滞在中は何度も渡西し、多くのアルティスタに師事したのですが、あまりのレベルの差に何度も落ち込み、その当時は趣味で楽しめばいいやと割り切っていたんです。転機は、帰国後に師事した佐藤やす子先生のすすめで、その当時、大阪のエルフラメンコで踊っていたラ・トレアのクルシージョを受講したこと。そこで、自分の中に眠っていた何かが突然目覚めて、自分自身に挑戦してみたくなったんです。
クラスを持ったのは2002年5月から。個性を大切にしながら、自分らしく踊ることに一番重点を置いています。だからといって自己満足な踊りにならないよう、基礎には十分時間をかけています。フラメンコはひとりで踊るのが基本だと考えていますので、ソロを踊るのに必要なことはすべて教えます。初心者でも、例えばタンゴの唄振りひとつでいいからひとりで踊れるように稽古しています。
私は、やる気のある人に平等に踊るチャンスを差し上げたいと思っているんです。ですので、生徒を踊らせてほしいというイベントの依頼があれば、フラメンコ歴や教室在籍期間、年齢職業など一切こだわらずに、やる気のある人に出演してもらっています。ただし、出演すると決めた以上は、しっかり練習してもらいますので、そこからが大変ですが(笑)
入門クラスには聴覚障害の生徒さんがふたりいます。最初は受け入れるか悩みましたが、障害者の方にも踊れるという夢を持ってほしいなと思い、入会してもらいました。今回の発表会にも出演してもらうんですよ。嬉しいのは、クラスメートの人たちが彼女たちをフォローしようと協力する姿です。生徒はみんなとても仲がよく、人間的に素敵な人ばかりです。
夢に見たタブラオのレギュラー出演が実現
「志を高く持ち、精進していきたい」
30年の歴史を持つ老舗、神戸のタブラオ「エル・パンチョ・キタノ」のレギュラー出演が決まったのは、本当に偶然でした。
毎週土曜日がフラメンコショーのある日で、神戸の先生方がレギュラーでずっと踊られていたのですが、一昨年から第5週目の土曜日だけ若手に踊ってもらおうという方針になり、そのトップバッターに私が選ばれたんです。
2003年7月にスペイン人と共演したライブLos
Amigos vol.2。
「この貴重な経験でやっと自信がつきました」
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それまでの私は踊る機会にあまり恵まれず、士気が落ちたこともありましたが、いつかタブラオでレギュラー出演するのを夢に、ひたすら頑張ってきました。踊る機会がなければ自分で作ろうと、ライブを主催したり、東京の新人公演に出演したり、活発に活動していたお陰で声がかかったんだと思います。
お店側から、ギタリスト、歌い手、踊り手、すべて好きにアレンジしていいよと言われたときは、天にも昇る気分でした。座長として踊れるなんて、こんな幸せなことはありません。せっかくいただいたチャンス。期待に応えられるよう、このショーに全身全霊をかけて臨みました。一緒に舞台に上がってくれたメンバーにも恵まれ、おかげさまで満員御礼のショーになり、その次の5週目も私にとお声がかかりました。2回目はショーの1ヵ月前に予約満席になり、お店の方が大変驚かれていました。
ちょうどその頃、第1・3土曜日にレギュラーで踊られた先生が、留学等でレギュラーをやめたいと申し出られ、その後任に私が選ばれたのです。第5週目と同様に、座長として、すべて好きにアレンジしていいと任されました。タブラオでレギュラーで踊るのは夢でしたし、開設したばかりの教室の生徒さんが増えてきたこともあり、当時していたデザインの仕事をやめてフラメンコ一本で頑張る覚悟を決めました。
夢に見ていたタブラオのレギュラーですが、これは葛藤の毎日でした。踊り手として自分を磨きながらグループをまとめていかなくてはいけないのに、自分の未熟さ、無知さ、経験のなさに悪戦苦闘しました。そんな悩んでいた時期に、スペイン人の友だちがスペインから電話をくれ、一緒に仕事をすることになり、Los
Amigosというライブを2月に主催しました。このライブが大盛況で、第2弾を7月に主催しました。この貴重な経験でやっと自信がつきました。

2002年12月、京都あんびしゃ「障害者のつどい」で生徒と一緒にミニ発表会。「このミニ発表会に向けてそれは一生懸命練習し、皆とても上達したんです。これはきちんとした発表の場を設けるのが私の使命だと感じ、今回の発表会を決意しました」 |
自分は踊り手としてまだまだだと自覚しています。ですが、志は高く、毎月新曲か同じ曲でも構成を変えるなど、自分なりに努力を続けています。そのお陰か、リピーターのお客様が増えてきたので、とても嬉しいです。そういうお客様のために、次回はもっといい踊りをしたいと、精進する毎日です。
今後のタブラオ活動は、いろんな若手の踊り手に「エル・パンチョ・キタノ」に出演してもらえるよう計画しています。教室では、4月からクアドロクラスを新設するのですが、これは私自身が今、タブラオで学んでいるすべてを生徒に教えたいからです。振り付けの意味や、バックアーティストと踊りながらどうコミュニケーションをとっていくのか、タブラオで踊るのに必要なことを教えたいと思っています。
取材・文 藤戸良彦
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