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私の教室では、生徒が舞台で踊る機会がすごく多いんです。去年から1年の間に、テレビ埼玉のお仕事が年に2回と、よみうりホールでの出演、それにANIFERIA(日本フラメンコ協会)のステージやタブラオ出演など、7回くらいかしら。初心者でもセビジャーナスの1番と4番が踊れる生徒は、本人の意思があれば舞台に上げてしまいます。舞台で踊るということは、スタジオで練習するよりも数倍の学習になると私は考えているんです。
ですから、入って3ヵ月くらいの生徒も出演しますよ。今の若い子たちは、ジャズダンスやヒップホップをやって踊りのセンスがいい子も多い。そして、何よりも若い肉体を持っています。それを、出演にあたって「まだ、まだ」と止める理由はないと思うんです。とにかく舞台に上がって、実践の場を体験してもらう。そこで怖さを知るし、学ぶことも多いと思うので。そこからまた、本人の勉強が始まると思うんですよ。私は、そういう考えです。若い肉体をムダにしたくないと思っているんです。
今回、舞台としては7回目になるのですが、エルフラメンコで行うのは初めて。生徒みんなの憧れだし、大きさもほどほどだし、私の中ではこれを"夏の陣"と呼んでいるんです。来年の1月には埼玉会館でのステージもあり、これは"冬の陣"。教室の生徒だけでなく、カルチャーの人たちにも同じように出演の機会を与えます。
フラメンコの原風景は子どものころにあった
私は子どものころから児童劇団に入っていて、小学校3年から6年生のときにはあまり学校にも行かず、舞台の全国公演の仕事をしていたんです。フラメンコを始めたのは、実は社会人になって、結婚してから。でも、実は子どもころすでに「大人になったらフラメンコをやろう」って決めていたんですよ。
テレビ埼玉「デビューステージVol.2」でのステージ
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小学校3年生の夏休みのある日、プールサイドから外を見ていると、子どもを背負ってカスタネットを叩きながら踊りの練習をしている女性を見かけたんです。もちろん、そのときはフラメンコなんて見たこともなかったのですが、見たときに「あー、あれがフラメンコなんだ」って。それが、私とフラメンコの出会い。「あー、私も大人になったらフラメンコをやろう」って思ったんです。 |
なぜフラメンコとわかったかというと、そのころ「Gメン75」というTV番組があって、マドリード警察といっしょになって麻薬組織撲滅に立ち向かうというシーンがあったのですが、そのときに踊りをやっている店のシーンが出てきたんです。実際にプールサイドで見たときに、そのシーンが蘇ったみたい。すごい出会い方でしょ(笑)。その女性が誰かはあとになってわかったのですが、結局、その方には踊りを習う機会はありませんでした(笑)。
大学では2年まで演劇のサークルにいたのですが、ちょうどそのころエアロビクスもやっていて、エアロビクスのインストラクターをやらないかというお話もあったんです。でも、そのころはバブルの真っただ中で就職も"売り手市場"。親に「頼むからふつうの会社に就職してくれ」と言われました(笑)。それで"ふつうの会社"に就職し、小林伴子先生のところでフラメンコを習い始めたのはその後のこと。ようやく、子どものころの夢が実現したのです。
ただ、習いだしてからは本当に貪欲に勉強しましたよ。しばらくして、スペイン人にも直接習うようになりました。スペイン人に習うことがどれほど勉強になるかということは、小林先生の所で定期的にそういう機会があったので、身にしみて体験していましたから。フラメンコを学ぶことに対してどんどん欲が出てきて、振り返ってみれば、私としては、学べるだけの日本人、スペイン人の先生についてフラメンコを学んできました。それも、スペインには1度も行かないで。
フラメンコを始めたころにはもう結婚もしていたし、主人には今も「一度スペインに行ったら、きっと日本に帰って来ないだろうな」と言われているんです(笑)。だから、私は自分の生活を犠牲にすることなく、ずっと日本でフラメンコを学んできたんですよ。そのかわり、スペイン人アーティストの来日情報とかにはすごく敏感だったし、クルシージョの予定があったりすると、必ず申し込んでレッスンを受けに行くなど、とにかく貪欲でしたね。スペインに行くことだけがフラメンコを学ぶことではない。今は来日クルシージョの機会も多いし、そういう意味ではすごく恵まれていますね。これも一つの学習法でしょう?
私はフラメンコの"探求者"
| フラメンコを教える立場になるきっかけとなったのは、99年の日本フラメンコ協会の新人公演。このとき、私はカーニャを踊ったのですが、入賞はしなかったんです。それなのに、それを見ていた方からあるカルチャーセンターで講師をやらないかというお話をいただいて。それがきっかけとなって、いつの間にか教えるところがどんどん増えたという感じですね。
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好きなアーティスト:マティルデ・コラル「女性としての包容力とエレガントシアが素敵」。イサベル・ロペス「パソの決め方や作品のメイキングはすごく勉強になります」。ホセ・ガルバン「まさに"フラメンコ工房"。振付けがあまりにも的を得ている」。アントニオ・アロンソ「きれいで存在感のあるバイラオール」 |
私は自分のことを、フラメンコの"探求者"だと思っているんです。いまも田中美穂先生に師事しているし、もちろんスペイン人のクルシージョも積極的に受けます。教える立場でありながら学び続けることに何の迷いもありません。自分が学ぶことによって初めて生徒の気持ちもわかるし、移り行くフラメンコをどんどん吸収していかないと、取り残されてしまいますからね。
正直言って、いまの私は自分で踊ることにも教えることにも、いっぱいいっぱい。毎日が必死で、自分なりにできることを精いっぱいやるしかないと思っています。今度の発表会では、私自身、マルティネーテ・イ・シギリージャを踊るんですけど、これも、自分の得意なものを最後に踊るというよりも、まだ人前で踊ったことのない曲への私としての挑戦なんです。なぜ、わざわざそんなに苦しむの?とよく聞かれるけれど、私としては、そこで苦しむ姿、ギター、カンテと三位一体となってひとつの曲を産み出すプロセスでの苦しみというものを、生徒にも知ってほしいから。そういう姿は、ふつう見せないのかもしれないけれど、私は見せます。それが私流ということなのかもしれません。
そうそう、7月から西川口にも教室をオープンしたんですよ。秋には恵比寿でも始める予定です。いまは本当に習いに来る人たちのフラメンコへの情熱がすごいし、私としても何とかそれに応えたい、という気持ちがあります。やはり私も、フラメンコが好きですから。フラメンコは私の永遠の恋人。そんな気持ちです。
取材・文 藤戸良彦
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