大木ユリさんは、日本のフラメンコ界では貴重な存在のカンタオーラ(女性歌手)として活躍。埼玉県所沢市のスタジオで精力的に踊りと唄の指導にあたるほか、地方でのカンテ指導にも情熱を燃やす。

大木ユリさんは所沢教室のほか、
都内2ヵ所、札幌、松本での
カンテ講座を開催。発表会は10月13日、
新宿エル・フラメンコで開催。
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 カンテのレッスンの場合、発音など難しい問題はたしかにあります。でも、スペイン語ができないからといって唄えないということはありません。私はレッスンのとき、いつも歌詞の意味を一言ずつ説明して、だけどほかにこういう意味もある、こういう場合もある…ということを話します。大切なのは、その歌詞の意味を理解し、心をこめて唄うということ。そのことを常にしながら指導しています。

 私が教えるのは、伴唱としてのカンテ。パルマを叩いたり、場面に応じて適切な歌詞を選んだり、アクセントを足で出したりと、踊りの人が気持ちよく踊れるように、いろいろな役割を求められます。だから、日ごろから実践的な練習を行う必要があるのです。

 レッスンにはギターの人が必ずつきます。私自身、踊りも教えていますし、他のクラスから踊りの人が駆けつけてくれることも多いんですよ。踊り手との掛け合いなど、すごく勉強になりますから。所沢のクラスでは、踊りは他所でならって、カンテだけ私のところに習いに来る人もずいぶんいます。カンテのクラスはほかに、早稲田大学と北千住のスタジオで定期的に行っており、これは、だれでも受講が可能です。また、札幌、松本でも講座を開いています。

 いま私自身、地方でのカンテ熱というものをすごく感じているんです。習いに来る人たちの目がキラキラしていて、すごくやる気に満ちている。いま札幌で2ヵ月に1度のペースでカンテ・クルシージョを開催しているのですが、受けに来る人たちのカンテへの情熱が感じられて、私としてもとても楽しみにしているんですよ。

スタジオ・コンサートも定期的に開催

 期間中、片道3時間とか5時間かけて道内から通ってくる人もいるほどです。中には踊りを教えている人もいるのですが、これは、やはり自分たちで踊りだけではなく唄もやらなければならない、という環境によるところもあると思います。今後は、地方でのカンテ講座を増やしたいと考えており、まずは四国の高知でできればと思っています。

ファミリア・フェルナンデスとの出会い

 私は大阪の相愛音楽大学で声楽を学んでいたんです。歌っていたのがオペラですから、フラメンコとはまったく発声法が異なります。はじめのうちは、どう頑張ってもオペラの歌になっていましたね。特に高音が難しかった。だからノドを強くする練習をすごくしましたよ。まったく声が出なくなった時期もありました。

 でも、大学を出るまではフラメンコとは縁がなかったんです。ある日、後輩に神戸のロス・ヒターノスというタブラオに連れて行ってもらって、初めてフラメンコを目にしたのですけど、それがフラメンコと私の出会い。そのときは踊りです。その場で、出演されていた東仲一矩さんに弟子入りしました。

 その後、結婚して所沢に住むようになったんですけど、たまたまカルチャー教室でフラメンコが始まって、鶴和子さんに教わりました。初日は生徒は私ひとり。ギターは山崎まさしさんでした。すごく恵まれた環境だったでしょう?(笑)

 でも、その後カルチャーは閉鎖になってしまいました。そんなある日、新宿のエル・フラメンコに出演していたスペイン人のファミリアを見る機会があったのですが、すっかり魅了されてしまって。もう毎日のように通いつめました。

 それがファミリア・フェルナンデス。特に踊りのコンチャ・バルガスが気に入って、クルシージョを受けることにしたんです。そのころは私、スペイン語もできなかったし、実はカルチャーではセビジャーナスしか習っていなかったのに(笑)。案の定、レッスンにはなかなかついていけなかったのですが、最後までコンチャにへばりついて何とか修了しましたよ。

 ファミリアが帰ったあとも、フラメンコと彼らへの思いが醒めず、とうとう彼らを追いかけてスペインまで行きました。セビージャのトゥリアーナということしか住所を知らないのに(笑)。あちこちで尋ねてようやく家にたどりついたのですが、彼らの顔を見たとたん、それまでの緊張が解けて泣いてしまいました。そして、その後1ヵ月にわたって彼らといっしょに生活し、いろいろなことを学びました。

カンテは必要に迫られて始めた


地元、所沢でのライブ
 トゥリアーナの小さなスタジオで、コンチャに個人レッスンを受けました。「ソレア」でした。このあと日本に戻ってから再び踊りを習っていたある日、八王子のカルメンのママに声を掛けられたのがきっかけで、お店で踊るようになったんです。カンテを始めたのは、その後のこと。ある日、カルメンのディナーショー
で歌の必要性、重要性を痛感して。だったら自分で習おうと、当時来日していたロロ・セラーノについて、勉強しました。

 ある年のフラメンコ協会の新人公演で伴唱をすることになり、ロロと特訓。そのときは私、まだアレグリアスしか唄えなかったんです(笑)。当時、日本ではまだカンテをやる人が少なかったせいもあって、それをきっかけに私の唄を聴いた人から出演の問い合わせが入るようになって、そこからですね、私のカンテ人生が始まったのは。

 出演の依頼があるたびに、依頼された唄をスペイン人の唄い手に教わって、という日々の連続でした。いま振り返ると一夜漬けもいいところですね(笑)。でも、そうしてレパートリーを増やしていき、半年後にはスペイン人と舞台で並んで歌うようになっていました。

 振りかえってみれば、私にはプロになろうという意識はなかったのですが、多くの人たちとの出会いが、私にフラメンコのすばらしさを教えてくれ、私自身も、フラメンコをやって苦しいと感じたことはなく、すべてが喜びの思いのうちにここまで来たという感じです。

 私自身、私生活や病気などですごく辛い時期があったんですけど、フラメンコがあったからこそ、それを乗り越えられたと思っています。これからもみんなの前で踊り、歌っていたいし、フラメンコにこだわりを持って取り組んでいきたいと思っています。

 当面は、カンテの地方での普及に力を入れたいですね。多くの方との出会いがとても楽しみです。10月の発表会では、生徒たちがカンテとバイレを披露します。私としては、これまで自分が教わったこと、たとえばカンテの歌詞なども忠実に、生徒に伝えていきたいと思っています。

「ここが私のお城」というスタジオ。「パティオをイメージして作ったんです。ここに来た人たちが楽しく語らい、飲んだり食べたりしてくれればうれしい」
好きなアーティストは、カンテではカマロン。踊りはよく活動をともにする入交恒子さん。「彼女は人間的にも踊りでも、常に前を向いている人。その舞台には毎回、感動させられます」。好きな踊りは性格的にはアレグリアスかな?唄ではタラント、ティエントス



取材・文 藤戸良彦