日本の歴史上で最も後世に語り継がれている出来事、それが「忠臣蔵」。碇山奈奈 y エラン・ヴィタールが贈る舞台「忠臣蔵」が2003年初春に再び蘇る。大成功に終わった2000年の舞台から約3 年。さらに壮絶に、さらにパワーをつけたメンバーが繰り広げる生と死の物語。日本人の魂が蘇る熱いステージ、そこには確かなフラメンコがある。

 






碇山奈奈 y エラン・ヴィタール公演
「忠臣蔵」は
03年1月17日(金)19時30分、
18日14時30分・19時30分から
東京・吉祥寺 前進座劇場で
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「忠臣蔵」について


 
――フラメンコを「忠臣蔵」で表現しようと思ったのはなぜ?

特別な理由はないでんですよ。でも、忠臣蔵をとても好きだったからというのが一番ですね。忠臣蔵をやることが正しいかどうかは別としても、ストーリー展開が好きだからです。そして、このお話は日本人の誰もがよく知っていることなので、これに決めました。

――過去にこの類のフラメンコの公演はありましたか?

忠臣蔵フラメンコはないですね(笑)。そもそも、日本のお話ですからね。時代劇ならありますけど、フラメンコでとなると想像がつかないかもしれませんね。でも、2000年の公演を観ていただいた観客の方々からは、「ちゃんと忠臣蔵になっている!」「まさしく忠臣蔵だ」「カッコよかったです」と、褒められたりしたんですよ(笑)。

――演出するのも大変だったのでは?

演出は私がやっているんですが、忠臣蔵をいかにフラメンコと合わせるかについては本当に大変でしたね。どんな風にどんな踊りをどこで入れるかとか、持っているイメージを一つ一つ形にしていくんですよ。フラメンコというのはリズムが主ですからね。それをどんなふうに表現するか、そういうことを考えて演出しました。

――最も大変だったことは?

踊りもそうですが、とにかく衣装には苦労しました。どんな衣装にすれば、フラメンコが踊れるのか?忠臣蔵という物語を演じながら違和感のない踊りがどんな衣装ならできるのか?

まして、フラメンコシューズを履いていますからね。もちろん、忠臣蔵の現代版のようにスーツを着て踊るシーンもありますよ。でも、ご覧になっていただければわかるんですが、とにかく真の忠臣蔵を演じながらフラメンコが踊れる衣装が必要なんです。本当に苦労しました。最終的には袴のようなスカートにしました。2000年の舞台写真を見ていただいてもわかりますが、とても踊りやすいものなのになりました。

――バストン(杖)は何の役を果たしますか?

バストンで床を叩いてリズムを出すんです。同時に剣にも見立てているんですよね。両方いけるように。これでまたリズムある躍動感が加わります。

――今回の忠臣蔵が2000年のものと違うところは?

2000年のときの反省点をアレンジしてあるんです。もっと動きがあった方がいい、とか、ここでこれは長すぎるというような部分が何ヵ所かあったので、そういうところを変えてきました。

――どのように変えたのですか?

よりスピーディになるように変えています。でもそれで、完成度が高くなったか、またはいじり過ぎて良くなくなったかというのは、実際にやってみなければわからないです。とにかく、現在までにパーツの稽古を重ねてきているので、通し稽古に入るのはまさにこれからなんですよ。乞うご期待です。

――セリフはある?

ないです。浅野内匠頭が切腹して死ぬところ、そしてエンディングに歌が入ります。もちろんフラメンコのカンテです。違和感があるようで違和感がない。不思議なほど忠臣蔵の世界にマッチしています。

――舞台の上で最も難しいところは?

全てが生の音のリズムですからね、それを皆で合わすのが大変です。呼吸を合わすというべきでしょうか。テンポが上がっていったりするときに、とにかく全員の呼吸を合わせるのが大変なんです。

私たちは、忠臣蔵の稽古に夏から入ってるんです。フラメンコのテンポというのは厳密ですからね。一人が狂ったらダメ。皆が合ってこそ、というものがあります。それはとても難しいことですよね。

でも、音の全くないシンとした世界から始まり、皆のサパテアートが盛り上がる。そしてそのリズムが一寸の狂いもなく、そして皆で揃った瞬間、それはとても気持ちのいいものです。観るものも踊るものもスカッとした気持ちよさがありますね。

――今回の見どころは?

見どころに関しては前回も今回も同じく、みんなが討ち入りして切腹するところが一番ですね。2000年の舞台のときのことですが、私は浅野内匠頭を演じ、途中で舞台から抜けられるんですね。そして、観客の一人として舞台を観ていたんですよ。本当にカッコいいと思いました、我ながらね(笑)。

そして、今回は特に、後半から迫力で盛上げていきます。それと、スピード感ですね。そのあたりを感じて欲しいですね。

それから、踊り手が若干変っています。うちのメンバーではないゲストの方に出演していただくんですね。長竿会美さんとベニ・デ・コルドバです。

長竿さんはスペインで仕事しているので、そうとう踊れるんですよ。とてもシャープな踊りが見どころです。そして、ベニ・デ・コルドバはスペイン人の中でもリズム感がとくに素晴らしいので、彼のリズム感のある踊りをご覧になっていただきたいですね。とにかく、彼らには要所要所をグッと締めてもらって、そして二人の持ち味をそれぞれ全て出し切って欲しいですね。

また、本来、忠臣蔵というのは日本人でないとできないですよね。でも、そんななかで、ベニ・デ・コルドバがどんな踊りを見せ、観客にどのように映るかということも楽しみの一つです。


前回に続き、大石内蔵助は箆津弘順さん、碇山さんは浅野内匠頭を演じる。吉良上野介はモダンダンサー、若松美黄さん。ベニ・デ・コルドバ、長竿会美さんが四十七士として加わる

教室指導について

―――教室で生徒に教える立場として難しいことは何ですか?

習いにくる人にとって、受け身過ぎるんじゃないかなという部分がありますね。

教えてもらうという気持ちだけでフラメンコは上達しないんです。まず、自分が踊るんだ!という大前提がないと。その上で、足りないところを補強するのが先生なんですから。

つまり、先生の前では自分を出せないというメンタリティの弱い部分があるんですね。言われたことだけをするのではなく、自分が何をしたいのかということを考えて欲しい。先生というものは、こんな稽古の仕方もあるよ、というテクニックについてを教えているだけなんですよね。

踊りの中で、手を上げること一つとってみてもそうですね。人それぞれ、皆が違うはずなんです。もちろん、角度に対しては私からいろいろと言いますよ。でもニュアンスというものは自分で作るもの。スペイン人だと逆にやり過ぎるほど自分を出すんですよ。スペイン人と日本人の違いがそこにあるんです。でも、やり過ぎている場合は、そこはもうちょっと抑えたほうがいいと言えますから。

踊るのは自分なんだということ。先生は助けてあげることはできないんですよ。ヒントはあげられるけれど、決して助けてあげることはできないんです。

自分一人ではできないことの筋道が、教室に通い先生に教わることではっきりしてくる。そのために習っているわけであり、習っている人を上手にすることができるのは先生ではなくて自分自身なんだということを感じてほしいです。そこに気がつけば伸びる、伸びます。踊りはある程度、肉体能力に負っているところもありますが、基本的には踊る気持ちなんです。肉体能力よりもそれがその気持ちがとても大事なことだと思いますよ。そういう生徒は、思わず見入ってしまいますね。だってひたむきに踊っているとカワイイでしょう?(笑)

「学んで思わざれば即ち暗く、思うて学ばざれば即ち危うし」という論語の言葉がありますよね(注:他人の真似だけでは独創的なことは出来ないし自分独自の判断だけでは何事も成功しない。つまり知識と行動のバランスがとれていなければならないということ)。両方が大事なんです。勉強もするけれど自分の自発的な感情も大事にする。感情ばかりでもバランスがとれない。肉体の能力を高めることと自分の感情、感じる気持ちのバランスがとれるようになって欲しいですね。

―――舞台に立つ上で大事なことは?

学ぶということは日常で行えばいいんですよ。舞台にあがったら無になる。その瞬間にひたむきになるんです。大げさですが、一つの音楽とかテーマとかを翻訳するんですね。私はこのテーマをこんな風に感じたよ、私にはこんな風に聞こえたよということを観客に伝える、そういうことですよね。自分を表現することではないんです。忠臣蔵においても、浅野内匠頭はきっとこのとき、こんな風に感じたんだろう!と、そういうことなんだと思います。

だからこそ感じる気持ち、感じる心を大事にして欲しいんですね。自意識過剰ではだめです。大事なことはレッスンを積み重ねながらいかに自意識を取り去っていくかということ。自意識なんか感じている時間などない。それほど、一生懸命になっていれば、素直な踊りが自然と出てくる。何かを表現しようとしなくてもその人が持っているままの感性、それぞれが持っている感性がいい形になって出てくると思います。

それが出てきた踊りというものは、一番美しい。自意識が出ている踊りは見ていても冷たい踊りに感じるでしょう。テクニックだけの踊りじゃつまらない。フラメンコはカワイイ踊りなんですよ。心があってね。悲しいとか怒っているとか、おふざけとか、全てがストレートなんです。だから、皆には感じる心を大事にして欲しい、そう思うんですよね。

取材・文 徳永貴子