−CDを作る計画は以前からあったのですか?
瀧本 いや、全然。CDを出そうという欲はまったくなかった。それだけの自信もなかったし、僕自身、自分に冷めた部分があってね、考えたこともなかったです。
ところが、去年、定期的に開いている自分のカンテライブの打ち上げの時に、若林君に言われたんですよ。「瀧本さんももう30年以上フラメンコをやってきたのだから、このへんで後に残る、かたちになったものを作ったらどうですか?」と。
「ほな、やってみよか…」ということで動き出したのが、今年の1月。試行錯誤の末、ようやくかたちになったというわけです。CDは7月20日に発売になりました。
−内容は、想像していたより“抑え気味”というイメージがあるのですが。
瀧本 僕自身の中には、当初はガンガンに歌おうという考えもあったのですが、プロデューサーの加部さんや若林君とも相談しながらレコーディングを重ねた結果、やや力を抜いた、抑え気味のものに仕上がりましたね。
とにかくCDで聴くカンテというのは、ライブとは違って歌い手の姿は見えないわけで、僕の方からすれば、目の前にお客さんがいない、歌を聴いてくれる対象が存在しない。そのへんが、ふだんの僕からすると物凄い戸惑いがありました。レコーディングの途中、自分でも何度も何度も繰り返し聴きましたよ。他人が歌っているのを聴くつもりでね。
結果、紆余曲折はあったにせよ、自分でも満足のいくものができたと思っています。聴いてくれた人から「良かったよ」と言われると、それがまたうれしくてね。キーも低くして抑え気味なところが、逆にカッコいいと。今の時代に合ったものができたということかもしれませんね。
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「もともとはギターを弾いていたのが、ある教室の劇場公演の前座で歌ったのがきっかけで歌での出番が増えてしもうたんですわ。当時はLPも少ないし、そらもう、必死でいろんな歌を覚えました。自分ではあんまり、歌はやる気なかったんやけどね」 |
−歌のほかギター、パルマ、ハレオも、すべて瀧本さんによるものだと聞きました。
瀧本 やはり、それぞれのパートごとに自分の思い入れというのがありますからね。
ギターは、自分が歌う時はこういうふうに弾いてもらいたい、という思いで弾きました。ファルセータ(ギターのメロディー)を聴かせるというより、リズムのノリを感じてもらえたらと思います。音もシンプルで、ええんちゃうかな。まあ、歌にしてもギターにしても、僕がもっと若かったら、もっと凝ったものを作っていたかもしれんけどね。そのへん、うまい具合に肩の力が抜けたような気がします。
−最も苦労された点は?
瀧本 パルマには苦労しました。スタジオの中で手を叩いても、どうもうまく音が響かんのですわ。あの乾いた音を出すのが難しくてね。おまけに一人だし。
まあ、フラメンコで音を重ねて録音する、それもぜんぶ一人で、というのは今までになかった試みやろね。その意味では、このCDは画期的ですよ。スペインでも実現されたことのない、すべて自分で歌い、演奏し、パルマもハレオもこなすアルバムの第1弾!というわけですわ(笑)。
−タイトルの「El Cartero(エル・カルテーロ)は、ご自身の職業であった郵便配達夫を意味するとか。
瀧本 もともとアルバイトをしていたこともあって、自分の職業を決めるにあたっては迷うことなく郵便局を受けたんですよ。すでにフラメンコを始めていたこともあり、時間の融通が利いて好きなことをやれる仕事を望んでいたのでね。
結果、フラメンコの世界一本でやっていくまでに18年と7ヵ月、郵便局勤めを続けましたよ。郵便局に愛着はないけど、僕にとっては安定した収入を得ながら好きなことができて、職業としては良かったと思っています。
ある時など、スペインのビエナルに出演することになって長期休暇を取る必要が生じ、知り合いの耳鼻科の先生に頼み込んで偽の診断書を作ってもろうたんですわ。「メニエル氏病のため、1ヵ月の転地療養が必要」とね(笑)。
ほかにも、その先生には事あるごとに診断書を連発してもらいました(笑)。さらに身内の不幸やら何やらを理由にして、実によく休んだね。ただ、そのうち東京での仕事も増えてきて、どうにもいかんようになった。あまりにも休むことが多くなって、もう職場復帰の意欲も薄れてきてね。
それで、今から13年前、千代の富士が新鋭の貴乃花に負けて、「体力の限界!」を理由に引退したのと時を同じくして、私も郵便局を辞めました。当時はもう、職場での人間関係もなかったし、「辞めます」と電話して、それで終わりですわ。18年も勤めたわりには、実に簡単な最後やった。
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「教室で歌を教えてますけど、踊りをやりながら歌も学んでるという子が多いです。カンテの魅力いうても、奥が深すぎて、そら一言では言えまへん。21、22才の子が簡単に『カンテはすばらしい!』いうてもねぇ、なんかウソっぽく聞こえるんですわ」 |
−瀧本さんのフラメンコに対する思いとは?
瀧本 僕は、フラメンコはやっぱりスペインの、というかアンダルシアのものやと思うんですよ。いくら日本人がうまく踊ったり歌ったりしても、それは真似ごとにすぎないと。そういう意識は常に持っとくべきだと思っています。
だから、日本人のみんながいいといっても、スペイン人が見向きもしないようではアカンのです。たとえ多くの日本人にソッポを向かれても、スペイン人がいいと言ってくれた方が、僕はうれしい。僕らはどこまでいっても日本人やし、だからスペイン人に対抗して勝とう、というよりも、フラメンコの国スペインのアーティストに対して尊敬の心を持って接すること、これが大事やと思います。
−特に影響を受けたアーティストは誰ですか?
瀧本 僕は当初、ギターを弾いていたのでね、フアン・マジャ・マローテ、パコ・デ・ルシア、セラニート、マノロ・サンルーカルといった人たちにはずいぶん影響を受けましたね。歌ではカマロン。最近ではホセ・メルセ。
かつてのビッグアーティストたちはみな個性があり、目をつぶっていても誰のギターなのか、歌なのかがわかった。その点では、今の人たちはあまり区別がつかない。個性がなくなってきているような気がします。
−今は日本でも若くてうまい歌い手が出てきていますね。
瀧本 今は新しいフラメンコもいろいろ出てきているし、それはそれで、ええんと違うかな。僕も若い頃は、昔のフラメンコはいいから聴けと言われても聴かんかった。それがある日、好きではなかった歌が自然と受け入れられるようになったんです。
歌の場合、とにかくギターとの呼吸、“会話”に尽きますからね。自分の主張はするけれど、相手の言うことは聞かない、というのはダメで、お互いが会話することが大切。そのへんを勉強していってほしいですね。
取材・文 藤戸良彦
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