| ごめんなさい。今回も難い話になっちゃいました。そのうち、誰も私のエッセイ読みにこなくなっちゃうかしら、、心配。
2003年2月15日、世界規模で戦争反対のデモがあったというのを、ニュースで知った。私は、はっきりいって政治や社会情勢についての認識は乏しく、スペインに来てから、恥ずかしい思いを何度もした。にも関わらず、ずっと「だって、私には直接関係ないことだもん」という子供っぽい理由を掲げて、社会情勢に関心を持つことを避けてきた。
でも、フランス人の彼の影響で数年前から少しずつだけど、TVのニュースの出来事に興味がでてきた。付き合い始めのころは、政治の話題になると「知らない、わかんない」と答える私に対し、彼は「知らないことは罪にもなる」と強く言うので、よく口論になった。
「私が世界の問題について何か思ったり行動したところで、解決はしないし社会も変えられない。だったら自分のことだけ誠実にやってけばいいんじゃないの。別に悪いことしてるわけでもないんだし、無知が罪だなんて、ひどい!」と彼につっかかったりした。
「日本の経済が貧しい国々を、食い物にしてる状況を知らないのか?」。品物の価格を下げるため、東南アジアなどの工場で生産し、逆輸入している現状は知らないわけではないけど、仕事のない人が働けて、日本人は欲しいものが安く手に入って、それのどこがいけないの?と思っていた。
でも、その裏にはこのシステムがもたらす、様々な問題があるらしい。ここで、いろいろ詳しく説明するのは省く。だって、私も詳しく説明するだけちゃんと分かってないので。一番ドキンときたのは、よく働いた人(例えば日本人)がお金持ちになるのは、当たり前だと言った私に彼は、「今、貧困の状態にある人に同じ質問をしても、NOというよ。YESというのは、自分が今恵まれた立場にいるからだ」と指摘した。
一生懸命働いたり、勉強したりしても、もともと民主主義の豊かな国にいればチャンスもあるが、貧しい環境に生まれた人にとっては、チャンス以前の問題なのだ、という。公平とは何か?働いた分の報酬をもらうのは当たり前だが、それは健康な恵まれた社会にいる人の中でのみ通用する常識とも言える。
日本人はその生活レベルの平均値が他の国より高いばっかりに、みんなが同じであるべきと考える。1000円のものは誰にとっても1000円でなければいけないと思う。500円で買った人を知ったらきっと憤慨する。でも、物の価値は本来は需要と供給のバランスから生まれる。
いくらで買うかの問題は後にして、おいしいケーキ、わたしは大の甘党だからおいしいなら1000円でも食べてみたい、と思う。でも、辛党の人は100円でもいらないと思うかもしれない。そして、市場価格は400円。この数字は平均点である。平均にしておけばいちばん簡単に流通するだろう。そして、このケーキがどこにいっても400円で売られていれば、潜在的に、ケーキは400円の価値、と私たちにインプットされてしまう。合理的なのだが、実は非現実的でもある。なぜなら、物の本当の価値を考えなくてもいいようになってしまうからだ。
私を含めて多くの日本人は自分の頭で考え、自分の経験から判断する、という能力を使うのを忘れかけているのかな、と思ったりする。今回のこのアメリカとイラクの問題について、友達の中学教師に聞いてみた。スペイン政府はイラク攻撃に賛成の姿勢を示しているが、野党と世間の風潮は戦争反対である。その友達は、彼のクラスの生徒に「世間では反対運動が起こっているが、もし君も反対意見ならば、なぜ自分は反対するのか、またなぜイラクを攻撃するにいたったのか、を自分で考えてみなさい」と指導したそうだ。
自分の意見を持ち、それを表明するためには、子供ではいられなくなる。日本で流行っているものが子供っぽかったり、日本のアニメにでてくる女の子が妙に清純なイメージだったりするのは、自分の意見を言うことから逃避している日本人の性格を反映しているように思える。
平和、平和といっても平和は自然には湧いてこない。何が最善の策なのか頭を働かせて考え、そして忍耐強くその問題に取り組んでいった結果に得られるものだろう。
今の日本、そしてスペインの平和は、私以外の誰かが創ってくれたものだ。私はその恩恵に授かっているに過ぎない。このままずっと「私は何も努力しなくてもいいの」と言っていたら、何十年後かには戦場にいかなくてはならなくなるかも!?
私は、何もできないのかもしれないし、何かできるのかもしれない、、、。
| 今日は気温は低めだが、天気はばっちり!洗濯物干してたら直射日光に当たって暑くなった。アンダルシアの冬は雨が多くて、家のつくりも夏向きなのでけっこう寒いのだが、2月に入ってからは、今日みたいな晴天が続いている。そろそろ春だね。だって、花粉症の敏感な私の鼻がそれを察知したもの。 |

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