5月にヘレスに戻りました。

今は6月末、とても暑いです。今年は猛暑な上に、かんばつだそうです。

さて、ヘレスでの私。東京多忙ライフから一変し、すっかりバケーションライフ。専業主婦(!?)の仕事以外には、好きな本を読んだり、パーティーに出席したり、ハーブを育てたりして過ごしています。

前回、「スロー」ということを少し書いたと思いますが、ヘレスは人口約20万の地方都市なくせに、「スローライフ」なんてわざわざ言わなくてもいいくらいスローなところです。

午前中、買い物に出たときに、よく寄るカフェテリアがあります。私が行くといつも、水色のシャツを着た太ったおじさんが、お友達のおじさんたちとテラスに座っています。私同様、いきつけのカフェなんでしょうね。

このおじさん、先に来ているのに、私が席を立っても、まだお店に残っています。ある日、いつも立ち寄る時間よりも2時間も早く、そのカフェの前を通りました。そしたら、まあ!なんと!あの太ったおじさんがすでにテラスに座っているんですよ!

思わず、「いったい毎日何をしているの?」と尋ねたくなるような人が、ここヘレスにはたくさんいます。

大規模な工事現場には、必ず見学者が何人もいます。彼らは、毎日、ずーっと工事の様子を見ているのです。そう、ただ、見ているのです。腕時計を見ながら、街中を走って通る人はいません。小走りしている人さえいません。

私がたまに走ったりすると、前に歩いていた人が、びっくりして振り返ります。ひったくりかと思うんです。

今、私は自宅改装のため建築家といろいろ相談中です。彼は、約束の時間に来たことがありません(あっ失礼カルロス、1度だけありましたね)。

いつも1時間近く遅れてきます。だけど、これは彼だけの遅刻ではないのです。私たちの約束の前に、彼が会っていた人の遅刻でもあるのです。こうやって、ひとりひとりが後れるので、合計すると1時間になるわけです。

そう、ヘレスに戻って約2ヶ月。私は、夫の助言により、新しい試みをしています。

それは「何もしない」こと。

このプロジェクト(!?)、始めて1週間でもうヤマが来ました。

何もしないことで焦るのです。何か悪いことをしているような気に、何かに置いて行かれるような気に、自分が能無しのような気になるのです。

何もしない、という意味は社会に対して生産的なことをしないということです。上にも書いたように、掃除、洗濯、炊事、読書などはしています。

この「焦り」は必ずいつも夢に現れます。夢の中で、私はどうにも踊れないのです、足が動かないのです。人に笑われます。怒鳴られます。

でも、私が今いるのはヘレス。スローなのんびりした町。この試みを実施するのに適した環境と言えるでしょう。

例えば、毎日練習していると「もう休めば?」という人はいても、「怠け者!」とさげすむ人はいませんから。

そろそろいやな夢も見なくなり、新しい料理を作るのが日課になってきた今日の午後、私は、突然「幸せ気分」に包まれました。

幸せといっても、大輪のバラの花が咲き乱れ、ダイヤモンドのように大胆にキラキラした幸せではなく、どこにでもある黄色い菜の花畑で、太陽の光を受けた朝露が1つ光るような、そんな、やわらかい幸福感でした。

私がやったこと?

主人のリクエストに答えて、今回2度目のチョコブラウニーを焼き、紅茶を入れて中庭に座って一緒に食べた。それだけ、です。

自分の中に幸福を感じると、なぜか何にでも感謝したくなりますね。

実は、今日に至るまでの2ヶ月間、「何もしないこと(休むこと)」に何度も罪悪感を感じていました。

毎日の小さな、でもとっても重要で不可欠な仕事である「家事」の意味を実感することは、私にとって簡単ではありませんでした。

「家の中の平凡な生活に価値を見出してこそ、私のフラメンコの仕事の質も向上するのではないか?」と仮説を立てて、只今「ハッピー」を模索中です。

先日ヘレスの店で見つけた本は「ARTE DE NO HACER NADA(何もしないという芸術)」

この芸を身に付けたあかつきには、みなさんに伝授したいと思っております。

…でも、何もしないわけだから、どうやって表現すればいいのだろう?…

「裸の王様」になればいいのかな?…うーん……。

ということで、習得しても披露できません。ごめんなさい。


今、私の横には7冊の本が積んである。みんな興味あるものばかり。なぜか私は1冊ずつ読めない。いつも何冊か並行して読むのだ。一時内容が途切れてしまうから合理的じゃない。でも、私にはこの方が楽しく読める。今読んでいる1冊は「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(C・ダグラス・ラミス著、平凡社ライブラリー)。おもしろいよ。

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