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5月にヘレスに戻りました。 今は6月末、とても暑いです。今年は猛暑な上に、かんばつだそうです。 さて、ヘレスでの私。東京多忙ライフから一変し、すっかりバケーションライフ。専業主婦(!?)の仕事以外には、好きな本を読んだり、パーティーに出席したり、ハーブを育てたりして過ごしています。 前回、「スロー」ということを少し書いたと思いますが、ヘレスは人口約20万の地方都市なくせに、「スローライフ」なんてわざわざ言わなくてもいいくらいスローなところです。 ● 午前中、買い物に出たときに、よく寄るカフェテリアがあります。私が行くといつも、水色のシャツを着た太ったおじさんが、お友達のおじさんたちとテラスに座っています。私同様、いきつけのカフェなんでしょうね。 このおじさん、先に来ているのに、私が席を立っても、まだお店に残っています。ある日、いつも立ち寄る時間よりも2時間も早く、そのカフェの前を通りました。そしたら、まあ!なんと!あの太ったおじさんがすでにテラスに座っているんですよ! 思わず、「いったい毎日何をしているの?」と尋ねたくなるような人が、ここヘレスにはたくさんいます。 大規模な工事現場には、必ず見学者が何人もいます。彼らは、毎日、ずーっと工事の様子を見ているのです。そう、ただ、見ているのです。腕時計を見ながら、街中を走って通る人はいません。小走りしている人さえいません。 私がたまに走ったりすると、前に歩いていた人が、びっくりして振り返ります。ひったくりかと思うんです。 ● 今、私は自宅改装のため建築家といろいろ相談中です。彼は、約束の時間に来たことがありません(あっ失礼カルロス、1度だけありましたね)。 いつも1時間近く遅れてきます。だけど、これは彼だけの遅刻ではないのです。私たちの約束の前に、彼が会っていた人の遅刻でもあるのです。こうやって、ひとりひとりが後れるので、合計すると1時間になるわけです。 そう、ヘレスに戻って約2ヶ月。私は、夫の助言により、新しい試みをしています。 それは「何もしない」こと。 このプロジェクト(!?)、始めて1週間でもうヤマが来ました。 何もしないことで焦るのです。何か悪いことをしているような気に、何かに置いて行かれるような気に、自分が能無しのような気になるのです。 何もしない、という意味は社会に対して生産的なことをしないということです。上にも書いたように、掃除、洗濯、炊事、読書などはしています。 この「焦り」は必ずいつも夢に現れます。夢の中で、私はどうにも踊れないのです、足が動かないのです。人に笑われます。怒鳴られます。 でも、私が今いるのはヘレス。スローなのんびりした町。この試みを実施するのに適した環境と言えるでしょう。 例えば、毎日練習していると「もう休めば?」という人はいても、「怠け者!」とさげすむ人はいませんから。 ● そろそろいやな夢も見なくなり、新しい料理を作るのが日課になってきた今日の午後、私は、突然「幸せ気分」に包まれました。 幸せといっても、大輪のバラの花が咲き乱れ、ダイヤモンドのように大胆にキラキラした幸せではなく、どこにでもある黄色い菜の花畑で、太陽の光を受けた朝露が1つ光るような、そんな、やわらかい幸福感でした。 私がやったこと? 主人のリクエストに答えて、今回2度目のチョコブラウニーを焼き、紅茶を入れて中庭に座って一緒に食べた。それだけ、です。 自分の中に幸福を感じると、なぜか何にでも感謝したくなりますね。 実は、今日に至るまでの2ヶ月間、「何もしないこと(休むこと)」に何度も罪悪感を感じていました。 毎日の小さな、でもとっても重要で不可欠な仕事である「家事」の意味を実感することは、私にとって簡単ではありませんでした。 「家の中の平凡な生活に価値を見出してこそ、私のフラメンコの仕事の質も向上するのではないか?」と仮説を立てて、只今「ハッピー」を模索中です。 先日ヘレスの店で見つけた本は「ARTE DE NO HACER NADA(何もしないという芸術)」 この芸を身に付けたあかつきには、みなさんに伝授したいと思っております。 …でも、何もしないわけだから、どうやって表現すればいいのだろう?… 「裸の王様」になればいいのかな?…うーん……。 ということで、習得しても披露できません。ごめんなさい。
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