「ヘレスのフラメンコのファミリアに生まれたら、将来はアルティスタになるのが当たり前って思うだろうな。でも、そんなことないんだよ。別に義務じゃないから」
その言葉通り、同じ血を引き同じ環境で育った9人いる兄弟のうち、アルティスタになったのは末っ子のアントニオだけである。
「他にプロになろうとする兄弟がいなかったら、末っ子の貴方に期待がかけられたとか?」
「いやいや、それはないよ!(笑)」と、アントニオ。
「もちろん家族みんな、歌ったり踊ったりするのは大好きだよ。プロとかアルティスタということに関係なく、自然なこととしてフラメンコは生活の中にあるから。だけど、アルティスタを職とするには、天性の資質だけではなく、フラメンコに対する情熱が必要なんだよ」
アントニオがプロの踊り手として生きていこうと決めたのは10代後半だったという。
「きっかけは?」と問うと、「家族のフィエスタでは小さい頃から踊っていたけど、ある時期から、自分は踊っているときが一番心地よいと感じ始めたんだ。それで、自分は踊り手を職業として、つまりプロとして生きていこうと決めたんだ」
そして、こう付け加えた。
「神様が僕に幸運を与えてくれた。それは僕がフラメンコを好きになったということ」
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「男らしい逞しさ、激しさ。力強く颯爽した動きの中にもエレガントさがあること」
これがエル・ピパがフラメンコの男性舞踊手に求め、自らも目指しているスタイルだ。
舞台上の彼の仕草や伊達男ぶりは、日本人の目にはキザに映るかもしれない。しかし、彼の日常の立ち居振る舞いを見ていると、それが「つくり」ではないことが分かる。祖母から受け継いだ大らかなブラソ(腕)と粋な肩の動き、そしてスラリとした長身を活かしたしなりの効いた体のライン。このエル・ピパならではの持ち味を存分に発揮して、世界各地の劇場を「フラメンコ」で大いに湧かせている。
1995年、コルドバのコンクールで2部門同時受賞し、世間の注目を浴び出してからは、アントニオ・ガデスの後継者とも言われる事もしばしば。それについては、「それは最高の褒め言葉。光栄に思いますが、恐れ多い事です。そう言って下さる方々の期待に応える為にも、これからもいい踊りを続けていくだけです」と答えている。
現在、一女二男の父でもあるアントニオ・エル・ピパ。
「僕のスタイルを引き継ぎたいという人が出てくるのは嬉しいよ。それが自分のファミリアの中から出れば、なおさらね」
しかし、アントニオは決して子供達にアルティスタになれとは強制はしない。今の時代、職業の選択肢はたくさんある。その中でアルティスタを選ぶがどうかは、彼らが自分自身で決める事なのだ。
今日も3人の子供達は、ごく普通の家庭の子供のように無邪気にじゃれ合って遊んでいる。違いがあるとすれば、彼らの遊び場が、父や仲間のフラメンコ達が毎日汗を流すスタジオであるということだ。
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