ドイツでの出会い

98年の春、留学先であるドイツの語学学校で出会いました。最初に会った時、「どこの国の人だろう?」「バイエルン地方のなんとも強烈な方言を交えてドイツ語をべらべらと話す彼が、なぜ語学学校へ来ているんだろう?」と思いました。ドイツで長く生活している彼にとっては、“西洋人にはない日本人特有の繊細さ”が新鮮に映ったようです。その頃はまだ、私も持ち合わせていたのでしょうか?(笑)

その後は地元の人達との交流がある彼と一緒に居るうちに、だんだんと語学に対するプレッシャーもとれていき、良き友達としてお互い線を置きながら、それぞれの悩みを話し合えるようになりました。そういった時間が長かった分、気が付いたらお互いがお互いを必要である存在となっていたんでしょうね。

それでも一緒になるには壁が大きすぎる!そんな風に頭から決め付けていました。二人とも違う国籍であるドイツでは、結婚は難しいのではないか?彼の国コロンビアでの可能性、日本だったらどうだろう…。そんな疑問を解くためにも、さらにお互いの家族を知る為にも、それぞれの国を訪ねる事になりました。

長い道のり
お互いの国を訪問

99年の1月から6週間、コロンビアへ行きました。彼の家族や親戚とも初めての対面でしたが、非常に明るく出迎えてくれました。「日本の笑い話を披露してくれ」なんていう声もあり、さすがラテンの国、そんな印象を受けました。

しかし、驚いたのは町中の様子でした。今までに報道番組や雑誌などで見聞きしていても、貧しい子供達を目の当たりにするのは初めてで、何ともいえない気持ちでした。それでも彼らは飢えて力をなくしている子供ではなく、生き生きとして「僕には9人の兄弟がいるんだ、車の窓を磨くからお金をちょうだい」というような声を行く先々で聞きました。その他にも、片足の折れた椅子を紐で縛った一本の木で支えて使っている老人、ペットボトルの蓋を集めて作られた買い物かごなど…。コロンビアではそうやって生きていくしかないのでしょうが、物がなくても工夫すれば人は生きていけるんだという事を感じました。それと、水があるところは土地も肥えていて緑もあり比較的生活しやすく、そんな水の大切さにも改めて気づかされました。


コロンビアの彼の家族や親類に会う

日本訪問はその1年後のことです。空港で明るく出迎えてくれた両親もいざ家へ着くなり、急に硬い表情で「まあ二人ここへ座れ」と始まり、話し合う事3時間。既に彼についての話はしていたものの、とことん奥まで知りたい両親の本音を私は事務的にただひたすら通訳していたのを覚えています。ドイツで入籍する方向に動いていたので、「娘をどんなふうに幸せにしてくれるのか?」という両親の質問に対して、「彼女がいないと自分の体の半分を失った気持ちである」と答えた彼。すると、母から「もうマルコさんの気持ちは充分に分かったから」という声が…。

そして、その後は「男が台所に立つなんて!」という古き風習を打ち破るべく、彼の料理の腕のふるいようでした。また、サルサを踊りに母をひっぱりだし、妹二人と六本木のサルサディスコへ。さらに家族で一泊二日の房総一周旅行と、あっという間の楽しい2週間でした。

彼にとって初めての日本、海の中を走る高速道路、空を突き抜けるかのごとく立ち並んだ高層ビル、あふれるほどのテクノロジー、そんな中でも存在する日本人独特の文化や風習に触れ、日本をもっともっと知りたい、そんな気持ちになったようです。


ドイツでの入籍

「一緒になろう!」とお互い思い始めて既に2年が経過した、その年の11月に入籍しました。ドイツでは宣誓書(真の愛を持って入籍を申請する)、住居の見取り図、給与明細、家主の署名など、とても厳重な調査がありました。こういった事にも時間がかかった訳ですが、司法局からようやく許可が下りた時は「今すぐ入籍できますか?」という勢いで役場へ行きました(笑)。その2日後、もう随分前から彼が作っていた結婚指輪をまた新たな気持ちで指に通し、事務室の蛍光灯の下でようやく入籍。その日は友人を集め、コロンビア風鍋料理を作ってホームパーティーでお祝いをしました。

入籍の後はドイツ特有のゆったりとした時間が流れ、ようやく落ち着いて「自分達の人生にとって何がいいのだろう…」と、ゆっくり考えられるようになりました。本来ならば先に考えるべき事であるのでしょうが、やはり入籍できるかできないかの葛藤が2年も続いたため、お互いに疲労困憊、犠牲にしてきた事も多かったと思います。

私の方は地元の音楽教室からの誘いもあり、子供達にピアノを教え始めていました。彼の方は自宅に工房は持っていても、やはりジュエリー作家である彼にとっては「ショップを持てれば」と思うのは当然の事でした。

スペインで見つけた可能性

そんな中、01年に2度ほどアンダルシアを旅行しました。4月に旅行した時、マラガから入ったのでそのままグラナダへ行き、それからロンダ方向へ車を走らせました。その間、途中途中にある小さな白い村にも立ち寄ったのを覚えています。それぞれの白い村にもそれなりの魅力はありましたが、なんといってもベヘールの持つ美しさに魅了されました。メインの入り口から2キロほど曲がりくねった道を上り、その最後のカーブを終えて目の前に広がる古い城壁に囲まれた村の景色は、生活している今でも感動します。そして、村の高台や南側の道路沿いからは海(大西洋)とその向こうにアフリカ大陸、モロッコも見ることができます。

ちょうどセマナ・サンタの時でしたので、とても活気があり、最終日には恒例の狭い道に闘牛を放すお祭りもありました。ドイツの4月はまだ肌寒くて曇りがちな日も多く、そんな中から抜け出してきた私達の目に飛び込んだ光景は太陽、青い海、明るい人々…、とにかく活気に満ちた印象を受けましたね。

そうして旅行で訪れたベヘールの村に、「自分達のショップを持つ」という可能性を見出したのです。大きな都市ではなく、こだわりのある人たちが集まりそうな、そんな場所・・・、私たちが求めていた意図に合っていました。ここへ移るのを決めたのは、見て回った白い村の中でも一番素敵であったこと、周りはまだリゾート開発の手が入っていなく自然であること、海からも遠くないこと…、なんといってもお店の場所がメインの通りに面していて、タイミングよく良い場所が見つけられたことです。

ベヘールには、他にも手作りのお店がたくさんあります。フランス人の経営する手作りの革かばん、機で織ったショールのお店、地元のものでは藁細工…。フランス料理やイタリア料理のレストラン、またアラブ色を生かしたホテルやレストランなど、年々、新しいお店が増えていっているようです。

新天地ベヘールでのスタート

02年の4月末にベヘールへ越して来て、早くも2年半が経ちました。ドイツからスペインへのビザの申請にも時間がかかりました。大荷物を載せた車で、2日間かけて着いた初日には予約していたはずの家もなく、お店の場所も何の手も加えられておらず、話が違いすぎる!!と、初日から見せ付けられたドイツとは180度違う『スペインの秩序』。気を取り直して、目を瞑って、入りきらない荷物を何とか押し込んで住み始めたピソでは、隣のいびきまで聞こえるという具合(笑)。お店のほうは、リフォーム、ショーケースの製作等に2ヶ月かかり、どうにかその年の7月9日にオープン!

そして9月には、日本から家族の訪問もあり、挙げていなかった結婚式もパティオがとても素敵な地元の教会で挙げました。彼がキリスト教の洗礼を受けている事と、既にドイツでの入籍証明書があったからでしょうか、特に何の問題もありませんでした。ただ立会人が必要で、ここベヘールでスペイン語学校の先生をしている友人にお願いしたため、「スペインの結婚式を見よう!」と生徒達の見学も入り、とてもインターナショナルな楽しい式となりました。


地元の教会での結婚式

もちろんお店が中心の生活になっていますが、それでも時間を見つけ二人で海へ行ってリラックスしたり、サルサを踊りに行ったりして過ごしています。いつかは形に残るものを自分の手で作ってみたい…、そんな夢も叶い、我が師匠の下で私もジュエリー製作に取り掛かっています。なのでお店を閉めても遅くまで二人でデザインを練ったり、こつこつと物造りをしている事も多いですね。あとは日本人であることから声をかけられ日本語を興味ある子供に教えたり、ピアノのレッスンもしています。

ベヘールは本当に何にもない白い村なんですが、どこを歩いても絵になるような、また発想が湧いてくるようなところです。多くの外国人、また執筆家、脚本家、画家、彫刻家と、沢山の芸術家が住み着く理由がなんとなく分かるような気がします。

今までがそうであったように、構えずに色々な事をどんどん受け入れて、また挑戦していきたいですね!ここに居て目にする様々なもの、口にするアンダルシアの料理、耳にするフラメンコ音楽など、多くの事をもっともっと知りたいです。これは二人とも同感です。もちろん日本、コロンビアとお互いの家族と触れ合うチャンスを持ちたいですし、旅は発見!できる限り旅行もしたいです。

取材・文 浅野ひろ子

成田静さんとマルコさんが経営するジュエリーショップ「Muisca」

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