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ガデスの大きさをどう説明したらいいのだろう。
三年前の春、グラナダのマヌエル・デ・ファリャ文書館でビセンテ・エスクデーロのデッサン展を見た。ガデスの体の線はエスクデーロにそっくりだと多くの人が口をそろえる。ガデスは照明デザインも手がけた。世界を「絵」として切り取るその感性に共通するものが感じられる。鋭い目つきからして似ている。だがガデスにあってエスクデーロにないものが確かにあるはずで、それは、添え物になりがちだった群舞を主役にした彼の演出家としての才能だろう。
たとえば『血の婚礼』の、招待客がさっと集まって静止する鮮やかな記念写真のシーン。あるいは、『ウエストサイド物語』以来の群舞と評された『カルメン』のタバコ工場の場面。ガデスの舞台では思わず息をのむ瞬間が群舞に多い。集団が劇場で踊り始めたのは十六世紀の宮廷バレエが最初だから、バレエに永く親しんだ目にはフラメンコの群舞が児戯にひとしく映るとしても無理はない。フラメンコが劇場芸術になったのは1921年、まだ百年足らずなのだ。一人か二人の花形を群舞が背景として支えるという伝統的な構図をガデスは打ち破った。最後の創作となった『アンダルシアの嵐』が、集団としての民衆を描くのを得意としたロペ・デ・ベガの戯曲『フエンテ・オベフーナ』に着想を得ていたのも、集団に物語を担わせるガデスの意地を思わせる。
振付はもちろん照明も自分で担当したガデスの体には、劇場空間がそっくりそのまま入っている。劇場のすみずみまで意識がゆきわたっている。さもなければ集団に物語を担わせるのは不可能だ。物語の背景ではなく、むしろ物語の積極的な語り手であり、ギリシャ悲劇のコロスに匹敵するもの、それがガデスの考える群舞だった。ガデスが生れる三ヶ月前に暗殺されたガルシーア・ロルカが『イェルマ』の洗濯女たちの歌で試みたように。
だがこれだけでは彼の大きさを説明したことにはならない。
「わたしは舞踊を表現手段として使っている演劇人=劇場人 hombre de teatro だ」。ガデスは自分をこう定義していた。幼い頃から職業を転々とし、「飢えを克服する」ために踊り始めたガデスにとって、舞踊はただの食い扶持だった。芸術家ではなく労働者だと言い切ったガデスに、芸術の神ミューズは微笑んだかも知れない。だがガデスが微笑みを返したのはミューズではなかった。『フエンテ・オベフーナ』の物語に託したスペイン内戦の記憶。人間が解放されるのは革命をおいてほかにないという信念。彼の微笑みは人間に向けられていた。
もしガデスが〈芸術のための芸術〉を求めていたら、寝食を忘れてフラメンコだけのために生きていたら・・・。こう考えて初めて彼の人間としての大きさを窺い知ることができる。
ガデスの遺灰はキューバに眠る。スペイン国外でガルシーア・ロルカがいちばんほっとできた国キューバに。
(スペイン演劇研究)
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